Papa told me 私的雑文

前書き つーか 注意書き

以下の文章は筆者(ぷっぷくぷー)が Papa told me (集英社ヤングユーコミックス) をネタにして
個人的に思ったことを書いた、いわば落書きです。つまり、Papa told me(以下PTMと略す)に
ついて客観的に考察したり批評している文章ではありません。
また、個人の価値観全開して書いてますので不快感を覚えるかたもかなりいらっしゃると思いますが、あしからず。
たぶん、作者が見たら、そんなつもりで描いてないぞ、ボケェとか言われそうな俺の妄想100%な感じです。
各エピソードから心に残った言葉を「」で引用し、それについて書いています。
心に残った言葉でもそれほどコメントをつけられないものはオミットしています。
なので、私的名言集かというとちょっと違います。
あと、のちに考え方が変わったり、文が変更される可能性は大です。
まだ中途半端なので、以後ちょこちょこ変えていくつもりです。

更新状況 : Epi.1,2,4書き換え。(2000.10.15)


EPISODE.1
CITY CHILD

第一話。
知世ちゃん登場編。(爆

「なぜかチョコレートが23個も」(1巻p.17)

この作者、23って数字好きなんでしょうか。(笑
>Episode.15


「自由で創造的な父子家庭」(1巻p.19)

最初の、PTMを象徴していると思われる言葉。

まず「自由」という言葉を履き違えていないところがすごいと思いました。
自由・・・ということは、つまり、選択する・・・ということと表裏一体だと思うのですが、
「選択しないという選択」も含めた「自分が自分であること・あろうとすること」の
ための選択が「自由」なんだと思います。
PTMを読んでいると、そう感じるのです。
また、その「自由」を当たり前のこととして、当たり前に認識し、そのための努力を
当たり前にしているところがすごいなぁ・・とも、僕は思っています。
そして、この知世ちゃんのスタイルは、PTMにも一貫していることだと思います。
日々過ごしていると見落としがちなこと、再考してみればごく当たり前のこと。
それらをすでに正しく認識している知世ちゃんをはじめとする登場人物。
彼女たちの何気ない一言に「正解のすべて」が詰まっている。そんな風に感じます。
ここで「正解」なんて書いてしまってますが、これを夢や幻のように捉える読者の人も
多いかと思います。知世ちゃんに関しても「こんな小学生は実際にはいない」とか。
たしかに、「知世ちゃん」というのはPTMの漫画のキャラクターでしかないですし、
その意味では "実際にはいない" でしょう。
けれども・・・本当に知世ちゃんのような小学生はいないのでしょうか??
僕は、知世ちゃんと同じように考え、同じように行動する小学生は、どこにでもいると
思えてなりません。人間の心・その人なりの真実は、他人から見れば、夢や幻のような
ものでしょう。でも、その夢や幻、妄想にしか見えないものでも、本人にとっては真実。
こういうこと、人間なら誰でも心の中に持っていませんか?
知世ちゃんみたいな子供は、幻想。
そう考えるのなら、自分にしかわからない自分の中の真実をも否定することと同義には
なりはしないでしょうか。僕はそんなふうに考えてしまいます。

---自由で創造的な父子家庭。
考えさせられる、という意味でも、最初のPTMを象徴する言葉・・・。


EPISODE.2
ROSE WATER

第二話。
ゆりこちゃん登場編。(核爆
私的に、的場百合子さんに感情移入・・・。(^^;;

「私たちは みんな一人 でも 私たちは 夢をみる」(1巻p.79)

この言葉を含むTVCMの宣伝文句ではじまり、また、この言葉で最後をシめる、本エピソード。
まだ1巻しかコミックを買っていなかった僕が、以降の巻を買う気になった決定打が、この言葉でした。
私的にPTM最強台詞。(ぉ
自分にとって、PTMのすべてを表していることば。

最初に、これを読んですごいと思ったのは、「私"たち"」と表現しているところなんです。
EPISODE.1のところで書いた、本人にとっての真実は他人にとっては夢か幻---ということを、
この1文「私たちは みんな一人 でも 私たちは 夢をみる」で表現しているのではないかと思うのです。
そこが「私は 一人 でも 私は 夢を見る」という言葉とは全然違う意味の言葉、
「私"たち"」と表現されている意味ではないかと思います。

そして「私たちは "夢をみる"」という言葉って・・なんとも良いように解釈できる曖昧な言葉ですよね・・。
このEPISODEの最後の場面、仕事関係でショックを受けているゆりこちゃんに対して
知世ちゃんが、ゆりこちゃんみたいになりたいの、と本人に面と向かって言ったり、
知世ちゃんの学校新聞のお仕事をしている最中に、ゆりこちゃんが眠ってしまい、
それに気づいた知世ちゃんは、涙を浮かべて寝ているゆりこちゃんを見てしまって、
泊まっていってもらおうよ、とお父さんに言ったり・・・。
知世ちゃんの真実、ゆりこちゃんの真実、知世ちゃんはゆりこちゃんに、ゆりこさんは
知世ちゃんに対して、どんな*夢*を見ているのでしょう。
このあたり、個人的に、作者のストーリーテリングの狡猾さを見る気がします。
こーいう狡猾さがあるから、PTM人気は長く続いているのだろうなぁ・・と思ったり。


EPISODE.3
PUFF SLEEVE

信吉氏の実家に先に一人で帰る知世ちゃん。
僕もモスラは嫌いです。(ぉ

「私はお父さんの子供である前にまず 共同生活者なんだから」(1巻p.83)

「自由で創造的な〜」の変形台詞。


EPISODE.4
ANOTHER DOOR

ゲド戦記編。
或いは、熱血石アタマ新任体育教師 vs 知世ちゃん。(核爆
園長先生がイカしててよかったね、て感じ。(ぉ
PTMの中では、かなりお気に入りEpisodeです。

「だって お父さんの呼ぶ「ちせ」だけが 私の本当の名前なんだから」(1巻p.146)
「お父さんは大人だから きっとその辺のところがわからないと思うから 私1人で がんばるの」(1巻p.147)

ゲド戦記では「真(まこと)の名」は、名づけ親と本人だけが基本的に知っているもの。
普段は"あだ名"で呼びあっていて「真の名」は他人には知らせない。
なぜなら、「真の名」さえ知っていれば、そのものを自由にできる力を得ることになるからです。

ゲド戦記では、主人公の友人が、主人公との別れ際に、その普段は他人には教えない「真の名」を
教えてくれる場面があり、それで友情を描いていますが、このEPISODEにおける知世ちゃんは、
お父さんが「ちせ」と呼び捨てにすることを「真の名」として自分の中に設定することで、
「その辺のところがわからない大人」であるお父さんとの想いのきずなを取り結んでいるわけです。
そしてこれは、知世ちゃんが、この体育教師に名前を呼び捨てにされた問題に対して、あくまで1人で
解決した理由の説明であり、また、ファンタジーを解さない「大人」とファンタジーの象徴としての
「子供」という世界観が表現されているようにも思えました。


EPISODE.6
SHORTCAKE HOUSE

さちこちゃんのピアノ発表会の後、ショートケーキみたいなさちこちゃん家へ遊びに行く知世ちゃん。
最後の言葉「ショートケーキのいちごの飾りじゃないのよ」が印象的。

「でも 私 大人になってもお母さんみたいにはなりたくないの」(2巻p.27)

さちこちゃんが、お母さんのことがとっても好きなのね、という問いに、ええ、と答えた後に続く台詞。
子供には子供の世界があって、大人たちは"みんなわかっている"と言いつつも、決して大人にはわからない世界。
もしくは子供たちはみんな自分たちの中に、大人には絶対わからない部分を意図してもっているのかもしれない、なんて考える。


「忘れたって? 何を…」(2巻p.36)

さちこちゃんの上の台詞で子供の視点を描いておいて、つぎの展開、知世ちゃんと信吉氏との会話のシメが、これ。
子供の真実を見つめる視点を描くことがPTMの面白さの一つだと思っているけれど、このエピソードはまさしくそれ。
ここで、忘れたものとは何か・・・具体的には"子供の世界"でしょうか。
大人たちが(勝手に)つくりだしている"子供の世界"ではなく、子供たち自身が持っている"子供の世界"。
ここでは、大人と子供というのを抽象的な概念として考えてたりしますが。

子供の視点を描くのはなかなかできるものではないと思います。大人から見た子供の視点を描
いているものは山のようにある気がしますが、PTMはきちんと子供の視点を描いていると思うのです。
PTM読んでて結構ビックリしました。そのあたり。僕がほとんど本読んでないからなのかもしれないのですが。(^^;
#こんな子供いない、とか、ここでの大人と子供は単に象徴として描かれているだけ、
#という考えがあると同時に、ああ、子供って、こうだよな、という自分自身すごく
#実感だったりするのも事実です。(^^;


EPISODE.7
NOSTALGY GARDEN

信吉氏の妻であった千草さんの"元"夫、香原氏が知世ちゃんにアトリエの庭園を譲る話。

「しかし同時に手がかりもなくしてしまった」(2巻p.58)

身内と呼べる人間が一人も居ないと気づいての、香原氏の言葉。

これですよね、なんて思ってしまいます。こーいう台詞。
PTMをはじめて読んだときは、こーいった台詞にすごく共感してました。
こーいう物語の力学とでもいったらいいのか、あるべきものがあるべき場所におさまって
納得できる話が多い気がする。PTMって・・。



EPISODE.8
REGIMENTAL TIE

信吉氏のサイン会を内緒で見に行ってしまう知世ちゃん。
知世ちゃんに見られたとわかった後の信吉氏の心情変化が俺的にこの話のキモ。(爆

「ほんとの「少年」は早く大人にもっと大人になりたいと思っているもの」(2巻p.121)

とりあえず、同感。(ぉ


EPISODE.9
PRINCESS LINE

昼のワイド番組で、男親は誰でも男の子供がほしいもの、とかヌかす芸能人が出てきて
それを見てしまう知世ちゃんの話。

「私 良心が かしゃくしちゃう」(2巻p.136)

知世ちゃん名語録、その1。(爆


「笑いながらだれもそうとは意識しないうちに 確実に傷つけられる心があるのに
それを防ぐ方法なんて見つけ出せない」(2巻p.164)

ネットでコミュニケーションをしていて、ときどき思い出すのが的場信吉氏のこの言葉。
防ぐ方法は確かにないでしょうね。
問題は自分がどう受け止めるのか、だと思います。
ある意味、僕のネットでの行動の一つの指針になっている言葉。


EPISODE.10
SODA FOUNTAIN

ゆりこちゃんから、若き日のお父さんの写真を見せられた知世ちゃんは、
写真の中のお父さんが知世ちゃんの存在をまだ知らないことに違和感を感じる。
そして、夢の中で写真の中のお父さんと出会う知世ちゃん。
夢の中のお父さんは、知世ちゃんのことを知らないと言う。

「お父さんが「ほかならぬわたしのお父さん」だってことはきっと奇跡みたいなことなんだわ」(2巻p.203)

このエピソード。夢というものをすごく鋭く表現していると思うのですが。
これまた、自分が実感してるだけですが。(^^;
小道具として夢がうまく使われてますよね。(^^;;

#この知世ちゃんの台詞といい話の内容といい、なんか、ONEを思い出してしまうのですが。(^^;;


EPISODE.11
STARDUST RIBBON

宝石店勤務の冬木さんが自分の夢を追いつづける話。

「淡いたよりない星屑のひとかけらでも それは私の光だから」(3巻p.47)

このエピソード。EPISODE.2の「私たちはみんな〜」と同じテーマだと感じました。
これを臆病とか言い訳がましいとか評される気もするのですが、そうではないと思っています。
やはり、自分を貫くのはつらいところがあるわけで、妥協がイヤになったり、自分を曲げてしまっ
たことを後悔したりということを考えていたりすると、このエピソードの彼女の生き方はすごく強い
生き方だと思えてしまいます。
彼女自身の言葉にもあるように、これは単なる自己満足や言い訳のたぐいであることもまた一つ
の側面であることを認めると同時に、いや、それだけではない、というのが表れているのが上の
引用部の「私の光」というところだと思います。
良い悪いの問題ではなく、彼女がなにを選んだか、が重要だと思います。


EPISODE.12
APPLE HONEY MILKTEA

知世ちゃんと児童絵画展へ行った信吉氏は大学時代の同級生の岸田ご一家と遭遇。
その後、知世ちゃんはハンスト状態に・・・。

「デリカシーの無い家族の集団なんて歩く暴力なんだよっ」(3巻p.92)

はた迷惑な家族描かせたら、右に出るものいねぇな、と思える話。(核爆


EPISODE.13
WORKING GIRL

取引銀行のえらい人のおじょーさまの高輪さんがブックエンド編集部に社会見学に来てやめていく話。(ぉ

「幸福を見つけられない自分へのいいわけ」(3巻p.133)

高輪さんが放った北原さんへの言葉。
考えることはEPISODE.11と同じ。


EPISODE.14
WILD STRAWBERRY

カルチャーばばぁの大川さんとその息子が信吉氏と知世ちゃんとトラブる話。(爆
こーいう親子はどこにでもちょっとずついる。(笑(ぉぃ
最初から最後まで知世ちゃんのすごさが光るEpisode。
やはり知世ちゃんはタダモノではない。

「でも「ほとんど」と「全部」とはまるでちがうよね」(3巻p.187)

いやー、その通り。
生まれてこのかた、ほとんど少数派として生きてきた僕には身にしみるお言葉。(ぉ
冗談はさておき、(事実だが(^^;)
「ほとんど」という言葉ってかなり守備範囲が広いくせに「ほとんど」と「全部」がまるで限りなく
同じかのように扱われることって日常茶飯事だったりしますよね。
特に、このエピソードでもでてくるマスコミとかが時に意図的にそーいう言葉使いを。
でも、現在はそーいう視点も意味の無いものになりつつある時代である気もしています。
そのあたりがPTMでこーいったテーマが最近描かれない理由の一つかな、とも思っていたりします。


EPISODE.15
BABY RING

信吉氏の弟の信次氏とその妻のさと子さんが信吉氏のマンションに来る話。
知世ちゃんは、さと子さんにゆりこちゃんと選んだバッグを渡すが、さと子さんはすぐにそれをしまってしまう。

「さーーーっ バーゲンのファッションショーだっ!!」(4巻p.7)

物欲炸裂のゆりこさん・・・。(^^;
その気持ちはわかります。(^^;


「男は外に7人の敵がいるなんていうけど 女には23人くらいいるのよぉ」(4巻p.10)

また出た23!(爆
>Episode.1


「喜びはどんなささやかなことでも ぎゅっと だきしめなきゃ やってけないの」(4巻p.10)

最近なぜか身に染みて実感のこの言葉。
やはり物欲の根源は、こーいうことか。(おい


EPISODE.18
PAPA HEMINGWAY

"男は いつもさすらい人"である黒川氏が、なまずの自動車に乗って知世ちゃんのマンションにやってくる話。(ぉぃ

「つまり人間はそれぞれ複雑な事情を背負っているにもかかわらず 単純な選択肢しか持ち得ないので そこからさまざまなあつれきが生まれるのである」(4巻p.108)

これも最近かなり実感しています。
というか、人間関係の問題ってほとんどこれが原因なんじゃ・・と思ってしまいそうなほどです。
また、人間はそれぞれ複雑な事情を背負っている、とは考えもしない人たちもいますが、
そういう人たちに対しても単純な選択肢しか持ち得ないのがなんともはや。(愚痴(ぉ


EPISODE.26
HALF BITTER CHOCOLATE

「わんぱくセミナー」やってる男のおばさん若松氏登場。(ぉ
とりあえず、くそいまいましい「わんぱくセミナー」。(ぉ

「ムナしい勝利……」(6巻p.115)

わんぱく教室の陣地取り(?)での、知世ちゃんの勝利のお言葉。(爆

この感覚、すごくよくわかるのですが。(^^;
ふつう、ムナしくてもなんでも勝利は勝利、という考え方するのでしょうけど、やっぱり僕はその感
覚がわからない・・・。それはあまりにも多くこの時の知世ちゃんと同じような経験をしてきたから
かもしれない。


EPISODE.28
MARSHMALLOW TRUST

通称「さかあがり」の話。(爆

「しゃーわせ」(6巻p.208)

知世ちゃん名語録、その2。(爆


「何かひとつできるようになると 何かひとつ忘れちゃうんだ じゅーよーなことを」(6巻p.217)

さかあがりができるようになった知世ちゃんの言葉。
なかなかこういうことに気づかないものだと思うのですが、さすがは知世ちゃん、と思ってしまいます。
このことはEPISODE.6「忘れたって? 何を…」にも通ずるものがあるかも、
と思ったりもします。つまり、人はそーやっていろいろなことを忘れていくんだよなぁ、と。

と、同時に、それは適応していっているだけなんだ、ともいえると思うけど、でも、そもそもその適応つーやつが、どーか?と。(爆


EPISODE.30
GREEN PLANET

クールビューティーな6年生にして政治家の息子、乾鷹彦君の話 = 後編 = 。

「でも 世の中にはほんの少し 秘密の通路を知っている子がいるらしい」(7巻p.90)

乾鷹彦君の知世ちゃん評。(笑

この秘密の通路ってやつは、僕的には、自分なりの道を見つけて進むことだと解釈しています。
いままでのエピソードで登場した人々の生き方からそう考えるのです。


EPISODE.41
DIAMOND SKY

ゆりこさんが高校時代親友だと思っていた浦野さんと同窓会で再会する話。
最後のコマで知世ちゃんがジャングルジムの上に乗って「やっほーっ おさきにー」と言っているのが印象的。
私的にPTM最強エピソード。(激ぉ


「このコってときどき永遠が見えているんじゃないかって思えることがある 晴れた日じゃなくても」(10巻p.26)

ゆりこさんの知世ちゃん評。(笑
知世ちゃんの魅力をあますところなく表現していると思う。
乾鷹彦君の知世ちゃん評とも重なっている表現かなぁ。
こっちの表現のほうが好きだけど。


「大きなジャングルジムの中で無駄にもがいてるのよ」(10巻p.35)

同級会で、ゆりこさんが旧友の浦野さんに言った言葉。
このときは、ゆりこさんは「無駄にもがいている」と言っていますが、このエピソードの最後では
ジャングルジムの涯てまで行って外に出ることを改めて決意します。
それは、ゆりこさんがゆりこさんであり続けた当然の結果だと僕は思います。

#このあたりMOON.の郁未を思い出す。(^^;


「笑って手をとり合うのは もっとずっと後でいいのよ その前に やらなきゃならないことは たくさんあるはずだもの」(10巻p.44)

この台詞のあと、ゆりこさんは「そう思わなきゃ やってらんないぞと」と言ってますが。
僕はこの引用部の言葉は、かなり的を得ていると思ってます。
確かにそう思わなきゃやってらんない、という部分もあるかと思います。
ただしそれは、前に進むために、という意味で。

すんなりといとも簡単に笑って手を取り合う、なんてことは絶対にオカシイ。
けれども、人はそんなふうに思えてしまうことがある。それは別に悪いことではないと思う。
だけど、あまりにも相手も自分と同じ、とはじめから思いすぎていることってないか?と思う。
もっと、違うものは違うんだから、違うものなんだということをまずはハッキリと理解して欲しい、
と思うことが時にあります。
また、自分と異質なものを認めることは、ある意味、自分自身を認めることでもあるんじゃないかと思う。

つまり、笑って手を取り合う前にやらなきゃいけないことは本当にたくさんある、と思う。
そして僕は「そう思わなきゃ やってらんない」のではなく、だからこそ面白いんだ、と思うところがある。


付記
このエピソードの説明を書こうと思ったとき、ふと、表紙カバーの折り込み部分にある、この巻の紹介文
みたいなものが目に入りました。
「百合子ちゃんが卒業以来の同窓会で会った親友は、昔の彼女のままじゃなかった」
僕は、これにひどく違和感を覚えます。
昔の彼女のままじゃなかった????
僕がこのエピソードを読んだとき、浦野さんが昔のままじゃなかった、というよりも・・・
むしろ、昔の浦野さんのままだったから、同窓会のときの浦野さんがいるんだ、と感じます。
同様に、昔の百合子さんがそのままだったから、今の百合子さんがある、とも感じたのです。
つまり、百合子さんと浦野さんの両者の関係性が昔のままではなくなっただけのことだと思うのです。
と、同時に、浦野さんが百合子さんのように変わっていけなかったから、その関係性が崩れたのだ、
とも思います。
とにかく、高校時代の2人からみて"今"の2人というのは必然だと思えるんですよね・・・僕は。


EPISODE.46
MY SOLITAIRE

北原さんのお見合い。
最初からまったくやる気が無い北原さん。(笑
そのころ信吉氏の家にもお見合い相手がおばさんと共に突然おしかけていた。


「さみしいことだって すてきなんだってこと 私には」(11巻p.48)

この言葉、知世ちゃんだからこそ説得力がある言葉ですね。
さみしいことがすてきだというわけではないんですね。さみしいことだってすてき、なんです。
しかもそれは、知世ちゃんにとってという意味で。


「問題は想像力にあるのよね」(11巻p.48)

名言です。(爆
信吉氏のマンションの広いリビングを指して、ここに2人で住むのはさみしすぎる、というおばさん。
さみしいのもすてきなのに、すてきじゃないと思うおばさんに対しての言葉。
というよりも、自分とは異質の価値観に無理解である者たちに対する言葉か。
問題は想像力・・・。
つまり、常に様々な発想の可能性を念頭におきつつ思考することが足らない、ということを言っていると思います。
それはかなり難しいこと。完璧にそんなことができる人は居ないでしょう。
だけどこれは、物事に対するときに必要な姿勢なのではないかと思います。
思慮深さ、というよりもむしろ、ココロとアタマの状態をプレーンにしておくことが必要なのではないか、と考えます。

私的に・・・
異なる価値観を理解してほしいとまでは思わないけれど、異なる価値観の存在くらい想像してほしいと思う今日この頃。(核爆


付記〜11巻まで書いてみて
私的に、11巻から絵柄が少し変わったと思っています。
正確には11巻の表紙から。
話の内容も、どんどん的場親子が脇役になっていってると思うし。
というか、知世ちゃんについて語り尽くされてしまった、ということかなぁ。


EPISODE.68
UNCLE ALBERT

別にEpisodeの内容には触れないので紹介は略。(核爆

「書いたのがどんな立派な人だって物語と読む私の間には何も関係無いもんね」(15巻p.69)

「二人のロッテ」を読んでの知世ちゃんの感想。

非常に同感。(核爆
物語とそれを受け取った側の間には、作者なんて関係無い。
物語が媒介して受け取った人の頭の中でその世界が構築されているわけで、作者は関係無い。(爆

EPISODE.70
LAVENDER COTTAGE

"ラーメン頭"宇佐美氏、初登場。
宇佐美氏と北原さんの出会いが非常に興味深い。
この2人のような「観念しない人」たちの存在は、ある意味、現代人の一部分を切り取っている表現と思う。

「甘えと自由は両立しないからね」(15巻p.135)

宇佐美氏のお言葉。

大変良くわかる話なんですが、はじめこれを読んだときは、少しだけ違和感を感じました。
それは、ここでいう「自由」という言葉について。
ここでの「自由」というのは、完全な、まったくの自由のことを言っているのだと思います。
あくまで理想上の自由、というか。
宇佐美氏が北原さんと出会って、このポリシーと人情が葛藤しますが・・。
その葛藤、思い悩むのが人間だと思うのですが、葛藤はほとんど描かれない。
というより、あまり葛藤していないように見える。
また、北原さんという人物も「自由」というものに対しては、あまり葛藤が描かれていない
(もしくは葛藤していないのかも?)と思う。
個人的には葛藤がない物語は非常にガックリくるのだけど、この葛藤がオモテに出てこない
というのも、現代人の一部分なのかもしれない、と思ったりもする。
ひいては「観念しない人」というものを鋭く体現しているとも言えるのか。
つまり「観念しない人」というのは「自由」というものの前ではあまり葛藤せずにその「自由」の方を選んでしまうのではないか。

うーん、なかなかハッキリしたことが書けない・・・。
自分が、宇佐美氏と近いところにポリシーを持っているからかも。

EPISODE.72
MARINE PARADE

知世ちゃん親子が泊まりに来たホテルのオーナーの甥である瀬戸山展之氏は、ホテルのギャラリー
の名画を自分の描いた贋作とすりかえていた。国会議員や地方の有力者の方々はギャラリーの贋作
には気づかなかったが、知世ちゃんはそれに気づいて、そのことを展之氏に告げる。

小学生のころ、僕は習字を習っていた。ある日、生徒が僕しかいないときに、習字の先生は
お客さんと話していた。そのお客さんは、別の書道教室の先生だった。
できあがったものを採点してもらおうと、先生のところへ持っていくと、しばらく僕の
書いたものを見たのち、お客さんにも見せながら、「これは我々では書けない字ですよね」
と言った。お客さんも「まったくですね」と言ってうなづき、「これを持って帰って飾らせて
もらってもいいかな?」と僕に聞いてきた。僕は、書道の先生ともあろう人がなぜ僕の書いた
ものを欲しがるのか不思議で一瞬思考停止したが、断る理由もなく手渡した。

高校生のころ、とある絵の展覧会へ行く機会があった。隣りで、児童絵画展もやっていたので、
まだゆっくり見ている友人を待たなければならないこともあり、ついでに見に行った。
そこで見た、ある1枚の絵にショックを受けた。
絶対に大人には真似できない、子供にしか描けない絵だ、と、直感的に思った。
高校生の自分が直感的にこのように思ったこと自体、非常にショックでもあったが、子供に
しか書けないと直感する絵というものを見たショックも大きかった。
そして、その絵を、僕は「ほしい」と思った。
その後、過去の自分の習字の記憶を思い出していた・・。

子供にしか描けない絵というのは、存在すると思う。
だから、知世ちゃんの描いた青空のおすそわけは、瀬戸山展之氏のお手本でありつづける気がする。


EPISODE.74
COTTON TALE

次期首相と元区長さん、公園のベンチで会話。(ォィ

「良かれと思ってアドバイスしたことが その人にとってはただのおせっかいで プレッシャーの素でしか無かった それをまた第三者から噂として聞くことになるなんてね あーあ」(16巻p.82)

すんげー説明口調のゆりこさん。(爆
今回は脇役で出てきましたーっ、て感じがビシビシ伝わってきます。(ぉぃ
たった1コマで上の台詞しゃべってるんだもん。(^^;

しかし、上の引用部のようなこと、よくありますよね。(^^;
私的には・・特に相手が女性の場合に、頻発しますね。(爆死
あーあ。(ォ


EPISODE.76
VICTORIA EMBANKMENT

新婚さんの"静江ちゃん"が家出して、友人の北原さんの家にやって来て、帰っていく話。(激ぉ

静江ちゃん曰く「だいたい男のくせに いちいちインテリアとかに口出すもんじゃないわよね」
北原さん曰く「静江ちゃん それは「女なんだから黙ってろ」っていうのとペアになる発想だよ」(16巻p.161)

そのとおりです、北原さん。(爆

さすがは、北原さん。おっしゃるとおりでございますー。(核爆
いや、マジで。(^^;


「でも さしせまって生活に必要は無くてもどうしても欲しいものってありますよね」(略)「それって浪費じゃなくて食べたり本を読んだりするのと同じ 自分を作っていくための行為の一つだと考えればいいんですよ」(16巻p.174)

昔、ある人に「君にとって、ゲームは生活必需品だね」と言われたことがあった。
当時の僕にとってはゲームが生活必需品であることなど当然であり(ォィ)、そんなのあったりまえじゃーん、と
「クーソーは、頭のコヤシです。」by 中村製作所(ォィ を地で行ってる感じでした。
ここ10年くらいは、そーでは無くなったんですが。
現在では、俺個人のホームページ(つまり、ココ)が上の引用部にあたるモノかも・・。
ある意味、精神安定剤的なるものになっています。なんて書くとちとマイナスイメージかな・・。

で、ここで困るのが、それを「依存」とか「現実逃避」とか思われることですね。
マイナス方向でしか捉えられない・・・。
そのあたりが、次のコマでゆりこさんが言ってる「やましさを感じる」ことの原因の1つになっているんじゃないかなぁ、なんて思います。

しかし、ここで、気になることが。(爆
北原さんは上の台詞のしばらく後のコマで、「何の生産性も無いんだけど」と言っていること。
そーかなぁ・・。そこまで言わなくてもいいのに・・と俺なんかは思います。(^^;
まあ、それに続く言葉で「空気みたいに重要」と言っているので、北原さんも生活必需品だという認識をしているわけですが。(^^;


EPISODE.79
RAINDROP POET

ストーリー紹介、略。(爆

「超厚切り!」(17巻p.40)

このコマには爆笑。
僕もストレス溜まっているときなどは、知世ちゃんみたくトースト超厚切りで食べます。そして……


「あー しゃーわせ」(17巻p.41)

つーわけで。(爆


「さて では次は何だろう 我々はどこへ行くのだろう あそこだよ 空だよ 宇宙だ」(17巻p.64)

自然と触れ合い生活していた少年時代を思い出す信吉氏は、空中の箱に住む知世ちゃんについて心配する。
それに対して元区長の唐沢氏は、将来宇宙に住むようになる過渡期として、地面近くの空である高層住宅に住んでいる、そんなふうに考えることもできるよ、という。

元区長さん・・・ガンダムを観たに違いないと思った俺は勘違いしすぎですか?(死


EPISODE.88
SANCTUARY KNOCKER

知世ちゃんの学校に転校してきた磯崎君の、前の学校でのいじめ問題。(ォ

このエピソードには、自分の過去の経験を思い出させる状況や展開がたくさん凝縮されています。
だから、一瞬、自分のことじゃないかと錯覚しながら読んでます。(爆
そんなわけで、YY連載時に読んだときには、かーなーりー衝撃だったですね。(^^;
でも、Episode.41に次いで好きな話かもしれない。
つーか、似たような話かもしんないですね、Episode.41と、この話って。


理不尽な社会に耐えるのも大切。そーいうことも、学校は教えてくれるのだよ、という先生。
それに対して、磯崎君は、それならサル山に行ってサルを見ていればいいと言う。それに続く台詞。

「僕は学校っていうのはそこからもう少し進化するには
どうしたらいいか教えてくれる所だと思っていました」(19巻p.34)

・・・僕も、そう思ってた。
というか、そうであると信じていた。
そうじゃないということがわかるまで、結構時間がかかった。
というより、そうじゃないと認めたくなかっただけかも。
でも今思うと、自分次第で学校はそういう場にもできるんじゃないか、と思う。
学校という社会の中で生活しながら、それを実験環境とでも扱って、自分で考えていけばいいんじゃないだろうか。
まあ、でも、そのあたりちゃんとすることは、結構難しいところだと思うのだけれど。
磯崎君は自分で考えつづけることを選んだようで。すばらしいです。


EPISODE.126
GROOMING BOX

はとこちゃん、つーか強君、ひさびさ登場。

この雑文では殺熊事件のエピソードには触れてませんが、強君は俺の幼少期とダブリまくっているキャラ(ォ)であったりします。(爆
前回はそれほどでもなかったのですが、今回は心にグサグサ来ました。(^^;;;
ひっさびさに集中して読んだエピソードなので、即、感想を書く。(爆

「「悪気が無い」と「想像力が無い」がいっしょになると対処するのが大変なんだ」(YY 2000.5月号 p.259)

俺的強君最強台詞。(爆
かーなーりーひさびさにヒットした台詞。(^^;;
これ読んで思ったのは、悪気が無く想像力が無い人って、それが「いっしょになると対処するのが大変」だとは考えないんじゃないだろうか・・・
というあたりが、強君のこのあとの台詞「言ってもしょうがないかな」となってしまうんじゃないかということ。
このエピソードでは強君は「言ってもしょうがない」と言いつつ、後に、お父さんにはっきりと言葉で伝えているのですが、
やっぱり、言葉で伝えるべきなのかなぁ。
私的に、言葉で伝えつづけてもぜんぜん届かない or カスリもしない or 届いても相手にされない etc..な経験ばかり
してるので、あきらめモード入ってますが(死)、やっぱり、ずーーっと、言いつづけることが大事かなぁと思った。
それこそ、数十年のオーダーで言いつづけなきゃダメかも、と、今更ながら改めて感じている今日この頃でした。(ぉ


「チームを組むスポーツをやっていると(中略)忍耐力や決断力(以下略)」(YY 2000.5月号 p.262)

こーいう世界の力は最近かなり弱まってきていると感じます。就職活動していてそう思った。
しかし、このページとつぎのページの吹きだしの配置や台詞の分割、絶妙ですね・・・。
吹きだしの内容と配置が、それを話している人物の価値観や論理回路、そして、話をしている父と子(強君)の関係性や両者の価値観・論理の対立などを見事に表現しているように思えました。
理路整然と「論理が見てわかる」という感じがしました。
ま、そんなのはマンガの基本なのかもしれないですが。(^^;
ほとんどマンガ読まないので、そのあたりよくわかりません。(^^;;
でも、ここまで論理的で微妙なニュアンスの表現も成し得るものなんだなぁ、マンガは、と、ちょっとかんしんしました。(^^;



Written by ぷっぷくぷー

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