MOON.

written by とごう


MOON. (c) Tactics

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【はじめに】

 当初、全体を見ながら書くつもりでしたが、欠けている情報の多さから、場面
を読んでいくことで組み立てる方法をとりました。しかし、宗教(FARGO)と二重
性(MINMES、ELPOD)に思考を捕らわれたあげく、郁未への理解の低さが加
わり、どこを基盤として考えるのかを定められていないまま、書き進めるという
事態に陥っていました。
 実際、書き終えてみるまで、わたしは『MOON.』という物語をきちんと捉えられ
ていませんでした。小さな所ばかり、場面を注視するあまり、視野が狭くなって
いたからです。もっとも、推敲を重ねた今でも、きちんと分かって書けているの
かと問われると、自信はありません。
 ここから、ゲームの流れに合わせて書いていきます。申し訳ないくらいの長
文になっていますので、面倒な方は、最後の【総括】を読んでみてください。簡
単にまとめています。

 それでは、面倒でない方、よろしくおつきあいくださいませ。

 #本文中、 MOON.(C)Tacticsより文章を引用している部分があります。

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【1日目】 PRELUDE TO THE CRUELNESS/残酷への前兆

○トラック内にて
 晴 香「真実はいつも過酷だもの」

 この言葉から、晴香という人間性の一端をかいま見ることができます。それ
は、物事を自身の問題として直視でき、また解決していくことのできる意識を
兼ね備えているということです。現実、自分の置かれている状況(問題)に対し、
取り組むことのできる強さを持っているということです。
 この時点では推測になりますが、晴香は以前に何か過酷な経験していると
考えられます。そうでなければ、このような台詞はでてこないでしょう。

○トラック搬入倉庫
 由 依「思い出さないままいた方がいい真実って、あると思いませんか?」

 晴香は、真実と向き合う言葉。由依は、真実へ背を向ける言葉。これだけで、
それぞれの性質があらわされていることが分かります。簡単に説明すると、何
らかの問題に対して取り組む姿勢の違いになります。晴香は、真実という重圧
を受け止めながら、正面から突き進むタイプ。由依は、真実という苦しさから
逃れて、別の道へと回避するタイプですね。
 ここで、誤解のないようにしておきたいことがあります。晴香と由依、どち
らの場合も問題に対処する方法が異なるだけですから、一方が正しく、一方が
間違っているという訳ではありません。

 さらに由依の場合、彼女は自身の過去に対して、『思い出したくない真実を
持っている』と受け取ることができます。
 しかし、郁未が宗団に潜入した理由を聞いたあとの台詞が気になりました。

 由 依「すべての真実を知ることこそ、唯一の弔いですっ!」

 『思い出さないままでいい真実』と『すべての真実を知る』ことは、まったく性質
の異なるものです。前者は閉鎖であり、後者は開放であると置き換えるとわか
りやすいでしょう。
 もう少し想像を広げてみると、由依は『思い出さないままでいい真実を、無意
識に思い出したい(知りたい)という欲求をもっているのではないか』という所に
行き着きます。
 ここでは、由依の物語は分かりませんが、何かを予感させる言葉だと感じら
れました。

○自室
 郁未は、少年と初めて出会いますが、お互いに交流はありません。確かに、
少年は宗団側の存在です。彼女にとって、宗団側という事実だけで十分なの
かもしれません。しかし、この場所が日常とかけ離れているとはいえ、普段の
生活習慣である行動、自分を安定させるために行う、『相手が何者であるの
か知ろうとする』行動がなかったことには驚かされました。

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【2日目】 SUFFER FATE WORSE THAN DEATH/死よりも不快な運命を経験する

○MINMES/第1段階
 ???『…もっとも帰りたい扉を』
     『…そしてそれを開ければいい』
     『…意志の力で』
 郁 未『帰ろう…』
     『私はそう心に思った』

 最初は、特殊な逆行催眠を流用(悪用)したシステムなのかな、と思いました。
精神に大きく負担の掛かっていた記憶の中へと、被験者を戻して追体験させ
ることならば、方法自体に差違があまりないからです。

 #逆行催眠
  心理療法のひとつです。対象を催眠状態におき、幼い頃(過去)の記憶をた
  どり、心の問題を看るものです。
  簡単な説明では、こんなところでしょう。

 しかし、郁未が声に促されるものの、『自分で帰りたい心の場所(扉)』をイメ
ージしていることからの推測になりますが、似て非なるものかなと感じました。

 郁 未『すごくイヤなことがあったときの疼きだ…』
     『痛い…心が痛い』

 帰りたい場所に戻ったはずなのに、どうして心が痛いのでしょう?
 それは、心がその場所を『過去』だと知っているからです。郁未の場合、現
在という場所は、悲しみに彩られています。お母さんが存在した過去と、お母
さんが存在しない現在。その現実とのギャップが、心の痛みを呼び起こすだと
考えられます。
 『心の痛み』は、MOON.の根底に流れるテーマであると、わたしは考えてい
ます。詳しくは、徐々に書いていきますが、結論を早く知りたい方は、文末の
【総括】へ進んでください。

○食堂/昼食
 葉 子「だから、私を俗世界の名前で呼ぶことは無意味です」

 FARGO宗団の世界の中で、葉子さんは、自分というすべてを名前とともに消
してしまったように感じられます。しかし、葉子さんは郁未に対して名前を呼ぶ
ことを禁じることはありませんでした。同様に、郁未の識別番号を聞くこともあ
りませんでした。
 すなわち、宗団の制約(及び、信者である)という仮面の下に、葉子さん自身
が存在していると考えてよいでしょう。

○食堂/夕食

 葉 子「不可視の力とは、真実の探求の過程で得ることのできる付属物であ
     って目的ではありません」
 郁 未「真実の探求って?」
 葉 子「我々が求めるものです」
 郁 未「求めるものって…不可視の力でしょ?」
 葉 子「それは、探求の過程で得ることのできる付属物です」
 郁 未「探求って…何を探すの?」
 葉 子「我々が求めるものです」
 郁 未「だから、それって不可視の力でしょ」

 この水掛け論を打開するには、教義の内容が分からないとどうすることもで
きません。もっとも、教義自体が明かされないので、ここはこのままにしておく
しかないでしょうね。

 この場合、郁未は『不可視の力』を求めるものとして捉えているため、葉子
さんとの意志疎通ができていないのです。『求めるもの』を焦点とした場合が、
まさに水掛け論となるのです。
 余談ですが、宗教には『奇跡』というものがあります。それは、信仰する神に
よって起こされたものであったり、信仰心によって生じたものであったり、修行
によって(獲得)起こったりします。つまり『なぜ起こったのか』は、信仰の名の
もとに説明されるわけです。よって、宗教者は奇跡について語るとき、「神の
御業です」と答えれば説明はつきます。あるいは、「敬虔な信仰が奇跡を起こ
したのです」といっても構わないのです。
 信仰のない人(わたしも含めて)には、どうしても理解しがたい考え方かもし
れませんが……

 郁 未「葉子さんに興味があるから」
 葉 子「私に…興味…?」

 葉子さんは、FARGO宗団以外の話題―――コミニュケーションとしての無駄
話的な会話になると、まったく別人のようになります。
 これは、彼女が敬虔な(狂信的な)信者ではないことの証明になります。なぜ
なら、個人の前に宗教という別格の存在が感じられないからです。宗教にすが
る人の多くは、すべての思考を教義のフィルターを通す傾向があるのですが、
葉子さんにはそれがない―――というよりも、ただそちら側に立っているとい
う印象しかないからです。

 #FARGO宗団について
  宗団という組織自体への説明がありませんが、仮定として、表裏のある団
  体として考えています。宗教団体としての人を集める要素がなければ、信
  者を獲得することはできませんよね?
  女性を誘拐して信者にしている訳ではないのですから、何らかの悩みを持
  った人を救済するための指導者か絶対神の存在があり、すがることのでき
  る表向きの教義は確立されているはずです。そこで初めて、施設へと送ら
  れる女性たちが選別されるのでしょう。それが、教義に傾倒した信者であ
  ったり、絶望を背負った自暴自棄の信者であったりするということですね。
  表は、健全な宗教団体。裏は、怪しい宗教(?)団体といった感じですね。

○自室
 少 年「つまり……キミたち側の人間じゃない」
 郁 未「それって……FARGO側の人間ってイミね…」
 少 年「うん……そうなるね」

 ここでは、住み分け(認識分別)が行われています。それが、『キミたち側の
人間』か『FARGO側の人間』というところです。

 #少年の言葉について補足
  「つまり……」という言葉は、この時点において、たんに立ち位置の違いを
  表しているようです。しかし、物語を進めていくと、少年と郁未の生物として
  の違いまでを含んでいることに気づきます。勘の良い人なら、想像のでき
  た展開かもしれませんが、おそらく多くの人は、場面が訪れるまで予想だ
  にしなかったことでしょう。

 物語当初の晴香の台詞からもなのですが、どちらかを明白にすることによっ
て、人物の認識方法がまったく異なっていることに気がつきます。まず、前者
であれば、日常的な意志疎通を明確に行うための個人情報の交換が行われ
ます。しかし、後者であれば、その行為は行われないのです。

 簡単に言うと、『味方』か『敵』かということですね。

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【3日目】 TERRIBLE SIGHT/恐ろしい視界(光景)

○タイトルについて
 わたしはここで、『光景』よりも『視界』という訳を選択しました。最初は感覚的
に後者を選んだのですが、ここにきて自分自身も納得する形になりました。

 #光景
  実際に目で見た、印象深い景色や衝撃的な事件の様子など。

 #視界
  一定の位置から、見通しのきく外界の範囲。
  また、知識や考え方の及ぶ範囲にもたとえられます。

 言葉の意味をふたつ並べたとき、郁未を介して物語を見ていくことは、視界
の方がふさわしいと感じたのです。この言葉を選択することで、自分の外側に
ある景色を見るのではなく、郁未の目(感覚)を通しているという近さがでてい
ると思うのです。
 あと、感覚的に補足するならば、視界という狭められた閉塞感ですね。

○MINMES/第2段階
 郁 未『私はまたここに来た』
     『どうして…』
     『一体私はここでなにを成そうとしているの…』
     『帰りたいの…?』
     『違う…』
     『一時の懐古にやすらぎを求めているの…?』
     『それも違う気がする…』
     『私はなにを求めてここへきたのか…』
     『わからない…』

 MINMESでの郁未は、困惑しています。失った過去を再生しても、それが現
実にならないことを知っているからです。
 それでも、過去を求めずにはいられない自分がいる。反面、未来へと進もう
とする無意識の自分がいる。そうしたせめぎ合いの中に、郁未は立っている
のです。
 苦しさを感じ、困惑し、不安の中に揺れているのは、郁未という人間が、過
去にすがるだけの弱さにおぼれることのない、前を向いて歩いていくことので
きる者だからです。だからこそ、思い悩んでいるのです。
 過去につきまとう悲しみと、苦しさと不安を感じ、向き合っていくことは、人間
の心を強くする(成長させる)ことでもあります。

○食堂/昼食
 郁 未「FARGOってどういうトコなの?」
 葉 子「まったく信じられません…」
 郁 未「…何が?」
 葉 子「あなたの存在が、です」

 FARGOの敬虔な信者でない郁未に対して、葉子さんは一抹の嫌悪を抱きな
がらも、受けた質問を自分のなかで消化しきれていないようです。

 葉 子「…自分が身を捧げる宗団について…そんなことを…」

 郁未の感じた印象と合わせてみても、間違いないでしょう。もっとも、彼女が
困惑する理由はまだ、見つけられないのですが…

○ELPOD/第1段階
  影  『…私はあなたのことを最もよく知ってる者』
     『…そしてあなたの痛みも沢山知ってる』
 郁 未「私の痛み…?」
  影  『…あなたの痛み』
     『…悲しみ』
     『…苦しみ』
     『…不快な気持ち』
     『あなたがつねに忘れたい、
      そして忘れている痛みを背負っている私たち』
     『…とても可哀想だと思わない?』

 『私たち』とは、その時その瞬間において、独立して存在し続けている郁未で
ありながら、別の意識を指しているもうひとり(?)の存在ですね。
 ここで奇妙なのは、自分という存在はどこまでいっても自分のはずなのに、
(仮にですが)1秒ごとの過去にさえ、『その時に存在した』という形で独立した
意識を持っている自分が存在しているところです。
 あえてこの状況を仮定するならば、人為的に引き起こされた精神障害(多重
人格)であるか、ドッペル(仮定の解釈として、自己の二重性)とすることができ
ます。捉え方としては、今回の場合なら、どちらも大差はないようです。ただ、
明暗で分けて役割を明確にして考えるのならば、ドッペルとしてみると考えや
すいかもしれません。
 ここで忘れてはいけないことが、ひとつだけあります。ELPODで生み出され
た郁未もまた、郁未自身であるということです。

 #影の郁未
  わたしは、彼女を郁未の分裂した自己として捉えます。
  しかしそれは、ELPODを使用したことによって『登場させられた』分裂人格
  です。そのため、表層的な部分であらわされている事柄は、作られたもの
  だと認識しています。
  羞恥心を煽る言葉などが、それにあたります。

  影 『…忘れることで生み出されるものはなに』
 郁 未「なにかがあるはず…」
  影 『…なに』
 郁 未「なにかがあるはずよ…」
  影 『…なに』
 郁 未「なにかよっ!」
  影 『…それはないって言ってるのと同じよ』
     『忘れることはなにも生まない』
     『…生まないのよ』

 『忘れる』ということは、記憶から無くなったということなのでありませんよね?
それは、意識して思い出さないように閉じこめたか、忘れたふりをしているか、
日々の生活のなかで埋没していったか…あるいは、もっと別の理由かもしれま
せん。
 今という自分は、過去の自分といつも共にあるのだと、私は考えています。
同時に、忘れることによって、『何かが生まれる』ことはあると考えてもいます。
確かに、説明の付きやすい生産的な物事と直結して考えるなら、『何も生まな
い』のかもしれませんが……
 忘れることは、心の負担を軽くするための緊急措置でもあります。そうするこ
とによって、前に進むことが出来る事例もあります。一番良いことは忘れるこ
となく、それ乗り越えるか、自身と統合することで折り合ってゆくかなのですが、
その適応が正しいことなのか間違っていることなのかは、状況によって変わり
ます。
 そういった意味でも、一概には言えないことですが、ひとつの選択肢として、
忘れるということもあっていいと考えているのです。

○食堂/夕食
 郁 未『でも、葉子さんは何の疑いもなくその『鍛錬』を続けている』
     『FARGOの教えを絶対と信じて…』

 この場合、『信じているから』修行しているのかもしれないし『信じたいから』
修行しているのかもしれない。と、考えた方がよいでしょう。
 修行以外に趣味がない(趣味を持たない)葉子さんに、郁未は『可哀想』とい
う感想を抱きますが、それは他者からの視点で見た場合であって、本人の感
覚とはまったく異なる感想である可能性を忘れてはいけません。自分が可哀
想だと思ったからといって、本人が可哀想だと思っているということが、つねに
イコールの関係になっているとは限らないからです。
 それは、生活環境や価値観―――生きていくうえで作られていく基準の個人
差にもよる場合もあります。だから、自分の持っている常識で相手を判断する
ことが、とても失礼にあたることもあるのです。

○B棟/精錬の間
 由 依「……前にも……こんなことが……」
     「……ダメです……思い出せません」

 記憶が曖昧に、よみがえる場面です。しかし、完全に思い出すことはできな
かった―――というより、思い出さないように心がブレーキをかけたのだと考
えられます。
 あまりに強い衝撃は、心を簡単に壊してしまいますから。

○自室
 少 年「現実とは、いつもこんなふうに過酷なものだよ。
      でも、いつか正視できるようになる。
      人とはうまく出来てるもんだ」
 郁 未「そんなもの…なのかしら…」
 少 年「そんなものだよ」
     「過酷な現実に生きていたら、それ以上の過酷の存在も知る」
     「するとそれが過酷であって、現実の過酷が普通になる」
     「そういうことさ」

 厳しい環境、過酷な現状を自己の問題として捉える能力は、差はあっても人
間の誰しもが持っているものです。つまり、「辛い(過酷)」な状況を生きぬくため
に、適応する(慣れる)ということです。
 それは、自分自身の問題である場合だけでなく、他人との状況比較から経験
的に感じ、置かれている状況に適応していくこともあります。
 たとえば、険しい登山を行わなくてはならない状況があるとしましょう。この時、
さる事情により、自分は10キロの装備を強いられ、同行者は100キロの装備
を強いられることになります。
 100キロの装備を背負った同行者は、1時間もたたないうちに、脂汗をかき、
足下をフラつかせはじめます。それにひきかえ、自分は多少は重いものの、そ
れほどの苦しさに置かれているわけではありません。
 そうした時、相手の状況は自分に比べると、非常に過酷であると感じるわけ
です。同時に、自分の辛さよりもそれ以上の辛さがあることを知ります。
 あまりよい例えではありませんが、だいたいこんなところでしょう。

 わたしは、この会話に居心地の悪さを感じていました。最初は、その気持ち
悪さがどこから分かりませんでした。しかし、示されている方法が状況対応の
みであることに気づいたとき、納得がいきました。
 何らかの問題(過酷な何か)に直面したとき、人は苦しみます。数学のように、
明確な答えはなく、それぞれの人の数だけ方法も答えもあります。そうして乗
り越えていくものだと思っています。だから、違和感を感じたのです。
 どこか冷たい、機械的な雰囲気すら漂う「人とはうまく出来てるもんだ」という
台詞。まるで、物を評価するような言葉に、居心地の悪さがあったのです。
 そして、少年の側と郁未の立っている位置の遠さに。

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【4日目】 SEEKER/捜索者

○自室
 少 年「おはよう」
 郁 未「……うん」

 はじめて挨拶が成立した場面です。少年と郁未の距離が縮まった瞬間でも
あり、ここでの生活が日常として定着したことでもあります。

○MINMES/第3段階
 郁 未『でもだめ…』
     『すでにこの記憶は…』

 未夜子「…あのね、いくみ」
 郁 未「うん」
 未夜子「…お父さんとね、もう会えなくなっちゃったけど、いい?」
 郁 未「…おとうさん?」
     「うん、いいよ、べつに」
 未夜子「…そう」
 郁 未「おかあさんと会えなくなっちゃったら、いやだけど」
 未夜子「…そう」

 ここで気になることは、父親の存在の軽さです。ためらいもなく、父親と会え
なくなることを「かまわない」と言ってしまえる、父と娘の関係です。これを郁未
が、一瞬の判断で答えているととるかどうかでも違ってくるのですが、郁未の
場合はきちんと意識したうえでの解答と思って続けます。
 問題は、郁未だけにあったのではないはずです。関係の構築が不完全な場
合、父親にも何らかの問題があったと推測できます。たとえば、自分自身を父
親として実感できていなかった、ということです。つまり、産まれてきた子供が、
自分の娘であることを実感できなかった。そのため、表面的な『家族』という言
葉で誤魔化してしまえるような関係しか、二人の間には作られなかった。
 このような関係を仮定とする理由は、郁未と父親の結びつきは母親と違って、
体験によるものではなく、経験(生活経過)によって、作られものだからだとし
ているからです。
 母親の場合、実際に子供を体内で育てているわけですから、それは実体験
という実地に基づく体験によって認識を持つことが出来ます。しかし、父親の
場合、その経過を経験的に受け入れるしかない、という決定的な違いを持って
いるのです。
 父親は、大きくなっていくお腹を触ったり、心音を聞いてみたりすることで、子
供の存在を認識できるのですが、体験として欠けている点があることは拭えま
せん。そして、生まれた後のコミニュケーションが質的にも量的にも、母親に
比べると圧倒的に少ないため、子供との意志疎通が表面的なものだけになり、
結びつきが緩かったのでは考えるのです。
 また、郁未も父親とは、接触する機会が多くなかったのでしょう。もちろんそ
れは、職業や父親の人物像によっても異なるります。この事例では、、母親と
はまったく対局位置の存在として認識されてたと考えられます。子供は、体験
・経験を通して、もっとも身近な存在を中心に世界を作ります。それゆえに、郁
未の家族の場合は、母親との関係が非常に強かったのではないかと考えた訳
です。父親は、郁未にとって必要のない存在でしかなかったということですね。

#未夜子は、配偶者(夫)を失ったことで、現実に対応する気力が低下してい
  るようです。

○B棟/MINMES
 友 里「触らないでっ! 私に近づかないでっ!
 由 依「お姉ちゃん……どうしたの?」
 友 里「あなたにそんなふうに、呼ばれたくないっ!」
 由 依「え……どうして?」

 ここでもまだ、はっきりとした記憶が戻っていません。
 これは、おそらく解離性健忘症(記憶喪失)の症状だと考えられます。
 訓練(?)によって、記憶が無理矢理掘り起こされ、よみがえりはじめていま
す。ここで驚くことは、強固に閉じてあった心的防壁が破壊されて記憶が戻っ
てきているにもかかわらず、由依に大きな混乱がみられないことです。本当な
ら、かなりの混乱(ショック)が現れるはずなのですが……。
 その部分は、由依を主人公とする作品ではないため、深く描かれなかったと
考えれば良いと思うのですけどね。

○通気ダクト内
 ダクト内には、フォークがたくさん落ちていました。わたしは、葉子さんに関係
していることだと想像したのですが、プレイ中に触れらなかったのでこのままに
しておきます。

○C棟/食堂
 晴 香『自分の意志を持つことを放棄した人間』
     『人生に絶望して生きることさえも忘れた人間』
     『そんな有形無償の人間が…』

 それが、ここ(宗団)にいるすべての人々。というのが、晴香の持っている印
象ですが、実際には提示されている情報が少ないため、彼女の印象だという
だけに留めておいたほうが良いでしょう。

 晴 香「あなたはどうしてここに来たの。不可視の力が欲しかったから?」
 友 里「それもある…」
     「でもほんとうはそんなことはどうでも良かったのかもしれない…」
     「いろいろな事が予定調和に重なったのよ」
     「ただそれだけ…」
     「…それに、もう逃げられない」
     「もう逃げたくても逃げられないのよ、私は」

 予定調和、という言葉の使い方が気になったので蘊蓄です。

 #予定調和
  ライプニッツの説で、単純で相互独立的なモナドの合成体である世界は、
  神の意志によってあらかじめ調和すべく定められているのだという考え。

 #モナド
  単子。ピタゴラス学派などにおいて用いられ、ライプニッツに至ってその
  形而上学説の中心におかれた。充実した内面を持ち、自発的知覚を担う
  単位実体。

 #モナド論
  ライプニッツの形而上学説。万物を構成するモナドは不可分で不滅の実
  体であり、ひとつのモナドは他のモナドと相互作用を持たないが、最高の
  モナドである神によって立てられた予定調和を表現している。

 とすると、「予定調和に重なった」という友里の表現はちょっと違うのではない
かなと感じました。使うとしても「予定調和だったのよ」になるでしょう。
 ただ、物事を選択してきたことはつねに自分であるはずなのに、その原因を
予定調和という便利な言葉に任せてしまうのは、無責任な気がします。
 もっとも、ここへ来るに至った経過が見えないので、選択を放棄した結果の
言葉なのか、現状に納得(適応)するために発した言葉なのかは分かりません。

○ELPOD/第2段階
 痛みの記憶。ここから読みとれることは多くありません。ただ、『痛み』という
ものを自ら自覚して、追体験することでしか自分自身から『許されない』という
ことを強く印象づけられるばかりです。
 気になることは、痛みの再認識によって救われる自分たち、ですね。救われ
た先に、いったい何があるというのでしょう?
 あるいは、考え方を変えて、『許される』云々はたんに、精神へ負荷をかける
ための脅迫的な要素としてみましょう。そうすると、この件については、考える
必要がないということになります。
 どう捉えるかによって、解釈は大きく異なりますね。
 あとは、ここで明確に『痛み』がふたつあることに気がつきました。ひとつは、
羞恥心などを刺激されて起こる痛み(おそらく、後悔や失敗を起因とするもの)。
ひとつは、失ったもの(対象)によって生じる痛みです。
 後者、対象の喪失を基盤において物語を見ていくことで、MOON.という物語
の姿が見えてくるような気がします。今の段階では、まだおぼろげでしかあり
ませんが。

○食堂/夕食
 郁 未『色々なことを考える振りをして、一番つらい現実から目を逸らしている』
     『一番つらい現実…』

 由依の陵辱された場面が浮かび上がります。それが、今、郁未の感じてい
る『凄惨な現実』、目に見えている現実です。

 郁 未「私があげた携帯ゲーム…どうしたの?」

 ちょっと不思議な問い掛けですね。語尾の言葉、「…どうしたの?」です。普
通なら「遊んでる?」とか、「上達した?おもろい?」の聞き方になるでしょう?
しかし、「どうしたの?」は、所在への問い掛けなのです。郁未は、葉子さんが
あの携帯ゲームをどうしたのかを確認したかったのです。
 ちなみに、直接的な問いかけに変換してみると、次のようになります。

 「私のあげた携帯ゲーム…持ってる?」
 「私のあげた携帯ゲーム…捨てちゃった?」

 当然、葉子さんもそうした郁未の気持ちに、気づいているはずです。いえ、も
っと最初、会ったときから、郁未が「興味がある」といったときから、郁未という
存在は特別になっていた気がするのです。彼女自身、その考え方(行い)が宗
団の教えと反していることも理解していたでしょう。
 だから、郁未の意識しなかった問い掛け「持ってるよね?」に対して、携帯ゲ
ームを介して、郁未が葉子へ繋がりを求めていることに気がついていると考
えるわけです。

 葉 子「……」

 だから、どう答えようかと迷ったのでしょう。ここで、好意的な言葉を返せば、
郁未との距離は縮まり、ここで初めて、友達と呼べる存在を得ることができた
でしょう。
 しかし、ここでの葉子さんの選択は…。

 葉 子「…捨てました」
 郁 未「…そう」
     『予想していた答えとはいえ、やはり少し悲しかった』

 郁未の吐露によって、前述した問い掛けへの想いが肯定された訳です。

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【5日目】 SHE SAID,"YOU MURDERER!"/彼女は言った、「人殺し!」と

○MINMES/第4段階
 運動会の話です。
 会話から、郁未の母が運動会を『見ていなかった』ことが分かります。郁未
の頑張りを、誰も見てはくれなかったということ。一番見て欲しかった人に。

○B棟/MINMES
 由依は、陵辱の追体験を客観視点で再体験します。そして、欠けている部分
はあるものの、ほぼすべてを取り戻してしまうのです。

 由 依「…思い出した…」
     「…あたしが…忘れていたかったこと…」
     「…思い出したくなかったこと…」
     「…あたしの過去…」

 続けて、リストカットのイメージ。
 物語当初の台詞を覚えていると、ここにつながってきます。

○地下通路
 由 依「…あたし…駄目です」

  #独白の中にある部分については、問題が問題なだけに書けません。

○C棟
 由依と友里の再会です。ここで、欠けていた事実が明らかにされます。

 記憶は、心が受けつけない限り、ダメージを減らそうと無意識に操作しよう
とします。それは、自身が意識的に行っているのではなく、本能が記憶をブロ
ックしているのです。この場合は、友里との会話によって記憶がすべて強制開
放されたことになります。

○地下通路
 郁 未「物事をすべて前向きに考えようとは言わないけど…」
「でも、自分で自分を悲観したら何も生まれないから…」
 由 依「……」
 郁 未「自分で自分を許すこと…まずそれから始めよう、ね」
 由 依「優しいんですね…」
    「でももう駄目なんです…自分に失望しました…」
 郁 未「わかるけど、辛いのはわかるけど……失望したら駄目だよ…」
 由 依「……」
 郁 未「頑張ってみようよ」

 落ち込む由依を励ます郁未ですが、「頑張る」という言葉が今ほど空虚で意
味のない、残酷に聞こえる瞬間はありません。どうしたら分からない時、頑張
りを見てくれる人もいない時、導いてくれる人もいない時、その言葉は応援に
も慰めにもなりません。

 由 依「…どう…」
 郁 未「え?」
 由 依「…どう頑張ればいいんですか!」

 道標を失った人にとって、一番ほしい言葉は、がんばれと言う励ましではな
く、行動の指針なのです。しかし、自分の苦境、問題を解決できるのは自分自
身に他なりませんから、他者から何かを示してもらうということは、甘えととらえ
られるかもれません。
 たしかに一種の依存ではあるのですが、困惑して不安のなかにある精神を
安定させるための一時的なカンフルとしてならば良いはずです。

 #カンフル
  樟脳をオリーブ油に溶かしたもの。
  だめになりかけた物事に対する、ききめのある手段にも例えられます。

 #樟脳
  クスノキを蒸留して出来る白色の結晶体。
  セルロイド・無煙火薬のなどの原料。

 由 依「あたしは実の姉を殺そうとした、人殺しなんですよ!」
     「郁未さんに…郁未さんに何が分かるって言うんですかっ!!」
 郁 未「由依…落ち着いて」
 由 依「あ……ご、ごめんなさい…」
     「…あたし、こんなこと言うつもりなかったのに…」
 郁 未「ねえ、由依。どうすればいいのか私にも分からないけど…」
     「でも、やっぱり何かをしなければ何も変わらないと思うの」
 由 依「……」
 郁 未「…あなたが頑張れば、きっと何かが変わると思うの」

 郁未は、絶望に落ちていく由依に、自分を重ねているようです。郁未自身、
解決しなければならない問題を抱えています。どのように行動し、何をすれば
いいのか分からないけれど、何かを変えたくて今この場所にいるわけです。そ
ういった背景が、「〜どうすればいいのか私にも分からないけど…」という言葉
に繋がったのでしょう。
 自分に対しても、由依に対しても、立ち止まることはプラスにならない。何か
を変えたいと、変えられると信じるから、「…あなたが頑張れば〜」と続けたの
だと考えます。
 郁未は、何かの指針を与えるのではなく、由依がひとりではないことを伝え
ることで、彼女を絶望から引き戻したのです。
 悲しみや苦しさは、未来へと進む力を阻む足枷です。同時に、人を成長させ
ることのできるひとつの要素でもあります。物事を見つめて歩き続けるか、目
をそらして忘れたふりをするか、背を向けるのか。それは、人によって異なり
ます。このとき、どのようにという方法が重要なのではなく、どう向き合ってい
くのかという心の姿勢が大切なのです。
 苦しみのさなかでは分からなかったことでも、歩き続けるうちに見えてくるこ
ともあります。

 『きぼう』は、いつもそばにあるものです。

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【6日目】 COLLISION 1/衝突1

○MINMES/第5段階
 郁 未『適当にやり過ごせればそれでいい』
     『それがわたしの身につけた生き方だ』
     『頑張っただけの見返りなんてない』

 学芸会の風景です。郁未は、この頃から自分にとって、楽な生き方を学びつ
つあります。いくら頑張っても、見てくれる人もなく、誉めてくれる人もいない。
だから、頑張っても仕方ない。そうやって、意識的に内向へと向かわせたので
す。無理に、押し込めるように。
 しかし、ようやくそういった生き方に慣れ始めていたとき、母親が自分を見に
来てくれていることに気づいてしまいます。郁未の後悔が、悲しみが、どれほ
どのものであったのか……。

 #別の見方をとれば、内向することで現状に適応しようとする郁未に、それ
  さえも許されなかったと考えることができます。失うことも得ることもできな
  い状態は、心身の不安となります。生活の上では、母親という対象をほぼ
  失っているにも関わらず、内面的(心)には失うまいと必死に縋り付かざる
  得ないことは、郁未に不安や焦燥を駆り立てたことでしょう。

○食堂/夕食
 葉 子「あなたは知らなくてもいいことを知ろうとしています」
 郁 未「知らなくていいことでも、知りたいのよ」
 葉 子「…後悔するかもしれませんよ」

 ここから、葉子さんがすべてを知っていることが分かります。なぜ、という理由
ではありません。FARGOの現実を知っているということです。

 郁 未「それでも、かまわない」

 これはやはり、郁未のもつ強さの現れでしょう。前に進もうとする意志。障害
を乗り越えようとする強い意志。

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【7日目】 ADMIRABLE LITTLE GIRL/称賛に値する少女

○MINMES/第6段階
 作文の題名:かぞく
 郁 未「わたしのお父さんは死んで、いません」

 物語には描かれていないので、父親の生死の真偽とその理由について触れ
られていないこともあり、考えることは保留ですね。
 ただ気になるところは、どうして『死にました』という一言で片づけずに、『死ん
だ』と『いない』をふたつに分けたです。聞く側の効果を狙ったのであれば、文
節を区切っての表現はかなり有効ですね。さらに続く内容では、ことさら自分一
人の孤独を浮き彫りにするという語りも、意図したのかどうかは別ですが、うま
くいっているようです。

 郁 未「兄弟もいません」
     「だから家族はお母さんだけです」
     「でもそのお母さんも滅多に家に帰ってきません」
     「だから、家族はいないようなものです」
     「夕飯はひとりで食べます」
     「毎日レトルトか、コンビニの弁当です」

 この環境は、核家族の背景とよく似ています。
 『人間関係の希薄』な世界。

 郁 未「死んでもだれも気づかなかった、どうしようかと思います」
     「それだけが心配です。」
     「それ以外は結構気楽で楽しいです」
     「おわり」

 結局、家族については、構成や状況が語られただけでエピソードはありませ
んでした。確かに、このような状況であれば、自分の日常についてを綴って発
表するしかないのですが、後半のある部分、郁未の抱いている不安に焦点が
絞られていることに注目します。
 「死んでも〜それが心配です」という部分は、自身の心配というよりも、自分
以外の誰かに向けられたものだと受け取った方がよいでしょう。自分を知っ
て欲しい、愛して欲しい、わたしはここにいるよ、と伝えている気がします。

 郁 未『復讐だ』
     『ささやかな復讐』
     『みんなどんなに私がひねくれてしまったか、知るといいんだ』
     『愕然とすればいいんだ』
     『後悔すればいいんだ』

 この部分は、郁未がそうである自分を、認識するためのものです。悲しい自
分を、幸せな生活を送っているように見える人たちへ突きつけ、そこに映った
自分を―――鏡に映った自分を見て、自分の心を知るために。

 郁 未「でも後悔させた先にはなにもなかった」
     「ひねくれてしまった自分を見せつけて、それで何を得ようとしてい
      たの…」
     「同情…?」
     「可愛がってほしかったの…?」
     「愛されたかったの…?」
     「そう、そうなの」
     「認めれば、悲しい」
     「すごく悲しい」
     「どこまでも、悲しい」

 認めれば、悲しい。
 認めないままで、悲しみを悲しいと感じることなく、生きていくことは出来ます。
でも、郁未はその生き方を選びませんでした。自分の状況を文章で書き、声に
出して読むことで、自分のなかにある悲しみと、隠れた欲求に向きあったので
す。

 何が悲しいのか。
 どうして悲しいのか。
 自分の失ったものは何であるのか。
 求めていたものが何であるのか。

○食堂/昼食
 葉 子「…後悔しているのでしょう」
 郁 未『後悔…?』
 郁 未「…そうかもしれない」
     『でも、正直わからない』
 葉 子「忘れることです」
     「あるいは、受け入れるべきです」

 葉子さんの台詞は、前者も後者も、ある意味正論だと思います。ただ、判断
することを提示しているだけでは、助言にはなりません。

 郁 未「どっちもできそうにない…」
 葉 子「苦しいだけですよ、自分が」
 郁 未「そうね…」
 葉 子「それともそういうことには慣れていますか」
 郁 未「慣れる…」
     『恐ろしい』

 これは単純に『慣れる』という順応性に対してでしょう。葉子さんの台詞から
は、そういった意味ではなく、今までもという過去に対しての問い掛けであると
考えられます。

 少 年「過酷な現実に生きていたら、それ以上の過酷の存在も知る」
     「するとそれが過酷であって、現実の過酷が普通になる」
     「そういうことさ」

 慣れる、とはちょっと違うような気がします。この場合は、『日常』と『非日常』
の境界を指しているようにも受け取れるのです。

○ELPOD/第4段階
 意識の底へという部分、これは明確にMINMESと意識差がでていますね。

○食堂/夕食
 葉 子「…あなたはなぜここへ来たのですか?」
 郁 未「私は…母が以前居たところだから…」
 葉 子「…母…ですか…」

 ひっかかりがあります。郁未の視点からも、何かあることは推察できます。
 さらに―――、

 葉 子「その人は今どうされているのですか?」

 母という言葉を、『その人』と置き換えている部分からもわかります。おそらく
葉子さんは、無意識のうちに『母』という言葉を避けたのではないでしょうか?

 葉 子「希望というものは以外と近くにあるものです」
 郁 未「え?」
 葉 子「要はどんなことがあっても絶望しないことです」

 この台詞によって、郁未と葉子さんがよく似た方向性を持っていることが分か
ります。実際、これは地下通路で郁未が由依に言ったこととほぼ同じですから
ね。

 このあと、葉子さんは郁未の名前を初めて呼びます。これは、ふたりの距離
が縮まっている証ですね。しかし、郁未に問われて「…いけませんか」と逆に
問いかけるあたりが、実に葉子さんらしい返答だなと、思いました。

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【8日目】 THE NEXT PURPOSE/つぎの目的

○MINMES/第7段階
 陸上部の郁未です。
 郁 未「…届いてほしかった…」
     「…ただ…」

 郁未が、陸上を選んだ理由は、走ることが好きだったからではありませんで
した。ありあまる才能も、彼女にとっては、目的のための道具の一種でしかな
かったのです。
 有名になって、雑誌などのメディアに載れば、気づいてもらえるかもしれな
いと考えたからです。だから、そうあってほしい結果が得られなかった時、郁
未はあっさりと身を引いてしまったのです。

○C棟
 由依。
 日常を、喜びのままに迎えられた誕生日の日を回想しながら、暗転。

  『どこで狂っちゃったんだろうね…お姉ちゃん』

 記憶の断片を取り戻した時点から、由依の時間はあの時へと戻り、止まって
しまったのです。おそらく、FARGOから逃げだしても、それは変わらずに由依
にとりついて離れない。
 友里が死んでしまった時点で、由依は癒される機会を失っていたのです。で
すから、無事に脱出した後に、忘れるか、受け入れるかを選ばなくてはならな
い現実が、彼女を苦しめたことでしょう。

 自らの体を奪われたこと、姉を失ったこと。それは、対象の喪失。
 悲しみは、由依自身の死によって、ピリオドが打たれた。

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【9日目】 THE WARMTH OF HUMAN/人のぬくもり

○MINMES/第8段階
 郁未が1人で生活している過去を振り返っている風景です。もはや、日常と
いうものが欠けています。非日常が、日常と化している風景です。つめたい、
あたたかさの欠片もない日々―――日常。

○自室
 郁 未『今は他人の優しさにただ触れていたかった』

 少年と関係を持つこと。郁未は、人と人との交わりとして受け止め、それを純
粋に嬉しい感じ、それこそが『私の求めていたものだったのだ』と認識します。
郁未の求めていたもの。それは、私という存在を見ていてくれる人、頑張りを
見ていてくれる人です。表現は悪いですが、死んでしまった母親のかわりに、
少年を獲得したのです。依存のできる対象を得ることで、郁未の精神は安定
します。
 ただ、ここで問題なのは、母親の喪失を単純に少年によって埋めていること
です。たしかに現実問題、そうした適応を行わなければ、日々が成り立ちませ
ん。しかし、そうした悲しみの回避は、悲しみを悲しむという悲哀の心理過程
を先送りにしているだけに過ぎないのです。

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【10日目】 DISAPPEARANCE/消失

○MINMES/第9段階
 郁 未『もう、ひとりじゃない…』
     『今日からまた、おかあさんが居てくれる…』
     『こんなに大きな存在で…』
     『ううん…もしおかあさんがいなかったら、生きる意味さえ見失っ
      ていたんだ…』
     『私は…』

 母親への依存、満足に得られなかった愛を、取り戻そうとする気持ちが見え
ます。こうして見ると、郁未の世界の狭さが露見します。
 まるで、小さな子供のような……。

○ELPOD/第6段階
 自分のこと(ナルシス像)を浮き彫りにされて、戸惑う郁未です。たしか、心理
療法で似たような方法がありました。自分が他人からどう見られているかを伝
え、本人に認識させるというものです。この場合とは、少々やり方は違うのです
が、ふと思い出したので。

○現象/1
 郁 未『ぼぉっとしていたのだろうか』
     『気づかないうちに、行きすぎていたみたいだ…』

 心神喪失による、無意識行動でしょうか?
 結論は先に送ります。

○地下通路
 良 祐「僕は事のすべてを最後まで見届ける義務がある」
     「途中で逃げるなんてことはできないんだ」
 郁 未「自分がやってきた事が正しいのかどうかを見極める必要があるって
      いうの?」
 良 祐「そうだ」
 郁 未「晴香を…妹を見捨ててまで?」
 良 祐「……そうだ」

 なぜ、そうなのか?という点が抜け落ちているために、晴香と良祐の物語が
消化不良になっているような気がします。
 見方を変えると、こういった部分がこの作品の良さといえます。物語が、それ
ぞれのユーザに想像にまかされるのです。

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【11日目】 LAST WISH/最後の願い

○自室
 郁 未『ありふれた日常……』
     『私はそれをこの狭い空間の中だけでも造り出そうとしているの…』
     『でもそんなの戯れだ…』

 人間は、異常な状況に陥ったときほど、正常へと引き戻そうとします。それは、
はっきりとした意識の元での場合もありますし、無意識の場合もあります。
正常という状況が精神(心)を安定させているのですから、取り戻そうとする行
動をおこすことは当然だともいえます。それが、一時的な状況だとしてもです。
 もう一つの見方では、郁未は、今の生活が失われてしまうと予感しているか
ら、いまの日常は戯れだという諦めを抱いていると考えられます。そうした認
識を持つことで、来るであろう破局(別離)に対して、自分の心へのダメージを
減らそうとしているのです。そうした回避の心理によって、心の痛みを予め、
少しでも和らげようとしているのです。

○MINMES/第10段階
 母の日―――、郁未と母親の別れの日。
 郁未が、本当の意味で母親という対象を喪失した日。
 でも、郁未は母親の死を悼むのではなく、一種の仇討ちへと自分の心を向け
ています。それは、真実を知るという別の目的に意識を向けることにより、悲
しみを回避しているからだと考えられます。

○自室/食事/昼食
 郁 未『そう。今日から自分の部屋で食べるんだ』

 こう書くと意地悪なのかもしれませんが、葉子さんへ意識がいっていないこと
に気づきます。
 少年と食事を始めることで、郁未はいくばくかの安心を得るのですが、不安
がなくなったわけではありません。それは、郁未も認識しているように、そこに
作り出している状況が、非日常のなかで生まれた日常だからです。

○現象/2
 郁 未「……?」

 とりあえず、迷ったことにして納得しているのですが、これは異変の前触れを
暗示しているようです。

○自室/食事/夕食
 会話中、少年は『郁未が〜』といっています。ごく自然にです。郁未も、呼ば
れたことを特別、意識していません。つまり、郁未はそれを普通だと、自然な
ことだと受け入れているということですね。

○地下通路
 晴香の回想から、巳間良祐との関係が明らかになります。しかし、断片的な
情報しかないことから、結びつき―――絆がどのようにして深まったのかは分
かりません。すっかりその部分が抜け落ちている訳です。この場合、推察や想
像ではなく、この部分の物語を独自に創作する必要が出てくるため、今回は見
送ります。

○B棟 精錬の間
 良祐が死んだとき、ふたりの頭上に見えた『月』が意味するものは一体なん
なのでしょう?

 『死の間際、彼は義理の妹を最後の力で抱きしめ、愛をそそぎ込んだ。
  すべての愛をその一瞬にそそぎ込んだ』

 しかし、その想いは晴香に伝わっていません。彼女は、良祐を失ったことに
よって、心が壊れてしまったのですから。

 兄の死、伝わらなかった想い、とぎれたままの関係。それは、対象の喪失。
 悲しみは、良祐自身の死と、晴香の心が壊れることで、ピリオドが打たれた。

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【12日目】 THE TRUTH ALREDAY EXIST/真実はすでに存在する

○MINMES/第11段階
 郁 未『私はまた帰ってきているのだ…』
     『自分の居心地のいい遠い昔に…』
     『でも現実の私はFARGOの隔離施設にいて、あの少年といっしょに暮
      らしていて…』
     『大体おかあさんはもう……』
     『でもよくわからなくなってきた…』
     『もしかしたら、これが現実なのかもしれない…』

 郁 未「でもね、おかあさん…」
     「胸が痛い…」
     「どうしてかって言うとね…」
     「それはもうおかあさんが…」
     「いないって知ってるから…」

 この場面での郁未は、『過去の郁未』ではなく『現在の郁未』です。過去と現
在の場所を、明確に意識してます。それは、痛み―――母親を失ったことを受
け入れているということです。
 この場面で、ようやく母親の死を心で認め、悲しみを回避することなく、悲し
んでいるようです。

○ELPOD/第7段階
 自分の内的世界への疑問という所でしょうか?鹿沼葉子との疑似肉体関係
すが、憧れは確かにあったでしょう。これは、見事なばかりの歪ませかたです。

○自室/食事/夕食
 ここで、晴香と良祐の結末についてを自分なりに推察して、そして、自分のた
めに動こうと郁未は決意を固めます。物事の切り替え、方向の決定を行える
行動力には、賞賛を贈ります。

 郁 未『もう自分のために動こう』
     『自分の目的だけを追おう』

○A棟/施設内
 死体を発見しますが、詳細については不明のままです。

○現象/3
 たびたび起こる無意識行動に対して、少年はいいます。

 少 年「すでに真実はキミの中にあるってことさ」

 つまり、無意識行動を起こしている要因が、真実を示しているということにな
ります。しかし、真実はまだ明かされません。

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【13日目】 SHUDDER RUNNING/連続する戦慄

○MINMES/第12段階
 郁 未『名前……どうして郁未ってつけたの?』
 未夜子「お父さんがね、ずっと決めてたの」
     「女の子だったらイクミって」
 郁 未『そう…お父さんが…』
 未夜子「でもイクミのミは『美』だったんだけどね、お母さんがそれを『未』
      にしたの」
     「『未』は私の名前、未夜子の未」
     「ずっといくみのそばに居るよって、意味」
 郁 未『そう…そうだったんだ…』

 自分の存在を確認する、母親の想いを確認する、そんな感じがします。そう
することで、いつも欠けていた心、悲しい自分を癒して、母親の死をきちんと受
け入れて、前に進もうとするための糧としているような感じです。

 再体験によって、失っていた愛情を取り戻し、心の扉を開くこと。

○現象/4
 自分の中に『別の意識/殺意』を認識します。それこそが、不可視の力。
 その力が、自分とまったく異なる存在であるということは、意志によって制御
する必要があります。物質的なものでないため、質的・視覚的な脅威は測れな
い点も、恐怖を増長させます。目に見えない、触れられない、体感できないこと
は、それだけで精神に重圧を与えます。そもそも、人間の意識のなかで、普段
から異質な思考を制御することはありませんし、本来、そんな能力を持ち合わ
せてはいないはずですからね。
 多少似ている―――かなり無理矢理ですが、役割を演じるための人格交換
の要領だとしてみましょう。しかし、その場合でも、ふたつの意識がぶつかり合
うことはないですし、真実ぶつかりあったのなら、脳はパンクしてしまいます。
この状態を例えることは可能ですが、想像上の域を出ませんね。

 MINMESとELPODのふたつが、説明通りに精神の強化を行うものであれば、
別意識制御のための訓練機ですね。だとすると、それらの機械は、『不可視
の力』を与えるものではありません。安息室も、説明通りならば休息なはずで
すから、これも『不可視の力』を与えるものではありません。
 修得の理由は、持ち越します。

○ELPOD/第8段階
 郁 未『この機械だ…
     『この機械が私の中におぞましい何かを植え付けていったんだ』
     『ひとの記憶を弄んでおいて、その裏でこっそりあんなものを…』

 『あんなもの=殺意+別意識』ですね。ただ、この結びつきは、郁未の直感
からきており、確固たる根拠はないようです。おそらく、MINMESとは違った痛
みが、そう思わせたのでしょう。
 もしくは、対象となる物体を決めたかったのかもしれません。分からないと
いう恐怖を、軽減するための手段ですね。

 #別意識
  これは、影(ドッペル)を指している言葉ではありません。郁未に対して殺
  意を放つ、郁未のなかに時折現れる、異質の存在のことです。

 以下はELPODの世界なので、上記の郁未の抱いていた考えとは、切り離し
て解釈を続けています。

 郁 未『私が嫌いだったのは』
     『自分だったのよ…』
  影 「…つまり私というわけ」

 郁 未『でもこれから先は……これからの私は…』
     『好きになれるように生きていきたい』

 ここでの自分自身との問答の先にあるものは、『再生』と『統一』です。
 いつかの葉子さんの台詞が―――

 葉 子「忘れることです」
     「あるいは、受け入れるべきです」

 ふと思い起こされます。もちろん、使う場所と問題が違っているので、捉え方
は変える必要があります。
 過去を忘れることで、これからの自分を好きになろうとする生き方と、過去
の自分もすべて自分として、受け入れて好きになろうとする生き方。どちから
が正しいわけでもありませんが、もっとも良い経過を期待できる方向は、後者
です。

 もうひとつの見方で述べると、おそらくは、『自分らしく、私らしく』という考え

(意識)が鍵となるはずです。
 こうした考え方は、モラトリアム世代を冠する若者たちが、漠然と思い描くも
のです。モラトリアムとは、猶予期間に例えられます。つまり、問題を先送りに
したり、結論を曖昧なまま放置しておいたりすることを表しています。そうした
考え方は、『自分』というものさえ掴み所のない存在へと、無意識のうちにおい
やりることもます。
 だから、ふと気づいたとき『自分らしさ』という、自分を表現する思考を喪失し
ているのです。自分、という立ち位置を見つめる必要に迫られたとき、基盤と
するものが見つからないのです。見つめる先には、陽炎のようにゆらゆらと漂
う曖昧な、自分がぼんやりと立っている。
 『自分らしさ』が、見あたらないことに気づいて、それがいったい何であるのか
を探し求める人も少なくありません。旅に出ることで、自分を見つけようとする
若者が増えているようですが、それは自己を見つめるための方法のひとつで
しかありません。どうやって向き合うのかは、人それぞれにあるものです。

 今までの自分と向き合って、『これからの自分は』どうありたいのか?
 今までの自分と向き合って、『これからの自分を』どうしていきたいのか?

 答えは、自分のなかにあります。

 郁未は、嫌いだった自分を好きになれるように生きていきたいと思う。

 みなさんは、何を思いますか?

○食堂/夕食
 郁 未『ならばもう、真実は私の中だけで見いだせるはずである』

 ここで、すべての謎(見えていたもの)が一気に集約します。それらを整理し
て、冷静に考える郁未。気になるのは、どうやって、いつの間に、『不可視の力』
を手に入れられたのかという部分に関しての追求がないことですね。この部分
は、重要点のひとつであるはずなのに、です。

 真実を手に入れた郁未は、何を求めるのでしょう?
 復讐?でもそれは、目的のある復讐ではなく、象徴する『誰か』でもよいという
ものです。この考え方では、復讐というよりも、その行為によって充足したい攻
撃性の発露のみとなってしまいます。

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【14日目】 COLLISION 2/衝突2

○MINMES/第13段階
 郁 未『なんだかね、疲れた…』
 未夜子「そう…」
 郁 未『うん…』
     『いろいろなことがわかったの…』
     『そして私ももうだめなの…』
     『私の中にね、なにかがいるのよ…』
     『それはきっとおかあさんも経験した…』

 過去の景色に存在しながらも、現在の郁未の意識が混ざってきています。し
かしそれは、混濁ではない様子です。その点から、12日目以降、郁未は訓練
中のことを覚えているのではないのかな、という気がします。

○自室/食事/昼食
 郁 未『ただ私はこの時間をかけがえなく思い始めた』
     『残り少ない時間』
     『私はこの時間だけは大切にしたいと思った』

 郁 未『あまりにささやかな、ありふれた時間…』

 失うと知っているから、大切に思っているのではありません。ふたりの間に、
しっかりとした絆を感じているから、大切に思っているのです。

○事件/現象
 晴 香「ロスト体でありながらも、無意味に生き続ける生物…」
 郁 未「誰なの、あなたは…」
     「それは私の友達の姿よ…」
 晴 香「命に従い消去する」

 この場面、わかりにくいというか、疑問が残りましたので整理します。
 晴香は、良祐の死に直面することで精神レベルが上昇し、『不可視の力』を
得る資格を持った。そして、その力と共に、郁未の前に現れました。しかし、
晴香という人格は崩壊しており、別意識が支配いるようです。友里の場合は、
人格崩壊しているどころか、攻撃性のみが健在しているという状態でした。
 ふたつのケースしか判断材料がないので、正しくない可能性が高いのです
が、晴香の場合は成功例(主人格崩壊/別意識支配)で、友里の場合は失敗
例(主人格崩壊/別意識混乱)ということかもしれません。
 訓練や経過が明らかでないので、笊のような推測なのですが、そうした前提
を仮としておくと、いくらか納得できるようでいて、この仮定ではつじつまの合わ
ないところも出てきます。
 こうなってくると、『不可視の実体』といろいろな事例がないと、まとめきれま
せんね。

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【15日目】 A FAMILY/家族

○自室
 郁 未『最後の家族ごっこの始まりだ』
     『ただ、のんびりした時間』
     『ただ、部屋でごろごろして、他愛のない話をして、』
     『少し笑って、少し不満を言って、』
     『少し弱音を吐いて、少し退屈して、』
     『そしてこんな時間をまた大切に思って、』
     『少し元気になって、少し困らせるようなことを言って、』
     『少しすべてを悟ったような気がして、』
     『少しすべてを失う覚悟ができて、』
     『そしてこの時間だけをまた失いたくなくなって、』
     『少し黙り込んでしまって、少し悲しくなってしまって、』
     『少し反省して、そして顔を上げて、』
     「ありがとう」

 日常というものは、こうして流れているものです。ひとつひとつを、意識してい
るわけではありませんが、わたしたちの生活はいつもこうした時間が流れてい
るはずです。
 宗団施設という異質な場所でなければ、この、ほんの数行のなかにぎっしり
と詰まっている想いが、日常のなかに流れているのです。

 郁未と少年の関係を示す言葉にも注目です。
 『最後の家族ごっこの始まりだ』
 家族という言葉が、使われています。

 「だから、家族はいないようなものです」

 作文に書かれた文章と比較しても分かりますが、郁未がどれだけ少年を大
切に想っているのかがわかります。彼は、郁未のなかで代え難い存在となって
いるのです。

 郁 未『ほんとうの別れと知って、』
     『私は泣いた』

 この場面の静かさが、悲しさを色濃くあらわしています。

○牢/1
 郁 未『眠ってたのか…』
     『何時間経っただろう…』
     『あの戦慄は…アイツの分身はまだ現れていないのか…』
     『早く現れればいい』
     『もう考えるのも疲れた』
     『私は負け犬でいい』
     『お母さんの復讐を果たすべく乗り込んで…』
     『結局お母さんと同じ末路を辿ろうとしている』
     『悔しいけど、もういい』
     『悔しいと思うのももうイヤだ』
     『だから現れればいい』
     『現れて、私の心を奪ってくれればいい』

 相手があの少年でなければ、郁未は『私の心を奪ってくれればいい』とは、
決して考えなかったと思います。負け犬でいいという諦めは、母親と同等の存
在となった少年という対象を失っているからきているはずです。そして、悔しい
という気持ちは、少年の真実を知らなかった(教えてくれなかった)ことから繋
がっているのだと考えられるからです。
 感情は判断や推測することを鈍らせるため、最後に残った想いが、すべて
を少年に委ねてしまうことだったのではないかな、と思うのです。

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【16日目】 A CREATURE OF EMOTION/生きとし生けるものの感情

○下水道/施設内
 郁 未『アイツなんだ、私をここまで連れてきたのは』
     『一体なんのために…?』
     『私が必要だったから…?』
     『失敗体である私になんの価値があるというの…?』
     『違う…』
     『違うんだ…』
     『彼は私の中の自分を助けたいだけなんだ』
     『たぶん、そうだ』

 これは、反動と防衛です。もう、心が痛くならないようにと考えるから、自分を
助けたこと以外の理由をつけているのです。でも、どこかで、あの日々が偽り
であったのかどうか確かめたいから、少年に会いに行ったのです。

 それは、少年との再会によって肯定されます。

○牢/2
 MINMESは、過去の痛みを精神の一定位置固定させ、精神の強化をはかる。
 ELPODは、もうひとりの自分と対峙させ、過去の醜態を回顧させることによ
って、同じく精神の強化をはかる。しかし、扱われる記憶は、実際のものを過
剰に脚色操作したものである。
 ここで、ようやくそれぞれの機械の役割が判明しました。あとは、不可視の力
を得た人物が、どのような経過と結末を迎えるのかが分かれば、材料は揃う
ので推測できるのですが…

○最下層
 少年の死を感じて。
 郁 未『そして私は…』
     『絶望した』

 未夜子(母親)の死と少年の死は、郁未にとって大きな喪失となりました。少
年は、郁未が母親の死をきちんと受け入れるために、必要な存在だったので
す。郁未の心には、言い表しようなのない悼み(喪失)―――、自分自身さえも
生きる気力をなくすほどの悲しみを、刻み込まれたのです。

 ただ、母親の残していったもの、少年の残していったものを考えたときに、
唯一の希望が見えます。
 それは―――。

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【17日目】 DESPAIR 1/絶望1

○下水道/施設内
 郁 未『あのときと同じ』
     『私は私を見ていてくれる人を失って…』
     『そして、自分の頑張る意味を見失ってしまうんだ…』

 わたしは、大きな喪失感に押しつぶされている郁未の姿を見て、ふと葉子さ
んの言葉を思い出しました。

 葉 子「希望というものは以外と近くにあるものです」

 その言葉の通り、希望は郁未のなかにあるのです。でも、誰かがもう一度、
手をさしのべて、郁未を絶望のなかから立ち上がらせなければ、おそらく彼女
は、自閉して死にゆくことになってしまいます。
 対象を失った絶望と悲しみは、生きる力を弱め、死を呼ぶのです。

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【18日目】 DESPAIR 2/絶望2

○下水道/施設内
 うつろな表情でじっとしている郁未。何かを考えているようでいて、それらが
あまりに断片的すぎて、まとまらないようです。
 郁未の状態を、そのまま『乳児抑鬱』の症状とすることは出来ませんが、雰
囲気としては、十分にあてはまっているように感じられます。

 #乳児抑鬱
  母親に先立たれる、突然引き離されることで起こる、対象喪失反応。
  情緒が不安定になるだけでなく、徐々に周囲との接触を拒絶するようにな
  る。そのまま経過(2〜3ヶ月後)すると、周囲に対しての心身の反応がなく
  なり、眠りの時間が長くなる(自閉してしまう)。

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【19日目】 SAND CASTLE(DESPAIR3)/砂城(絶望3)

○下水道/施設内
 夏の終わりの海。

 郁 未『不安もなんにもない…』
     『ただ砂の城を作ることに熱心になれた…』
     『おかあさんがそばにいてくれたから…』
     『無邪気にそうしていられた…』
     『あのまま時間が止まっていたら良かったのに…』
     『永遠に…』

 崩れ去る運命を持つ砂の城と、揺るぎない絆で結ばれた母親の存在の対比
でしょうか?
 こうして書いてしまうと少し安直かなという気もするのですが、郁未のなかで
はおそらく、結びついていたのではないのかなと思うのです。

 生きる者は、時を止めることができません。同様に、いつまでも同じ場所に
立ち止まっていることも出来ません。
 無理に縛り付けて立ち止まり続ける、という生き方もあります。しかし、それ
でもやはり、立ち止まっているのではなく、いつの間にかどこかへ向かって進
んでいるものです。

 思い出は、永遠の一部を、遠い場所から眺めることなのでしょう。だから、
永遠はあるのだけれど、わたしたちは立ち止まることができない。
 郁未もまた―――。

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【20日目】 STARTING OVER/はじまりの向こう側

○MINMES
 動いて欲しいと願う、郁未の意志に反応したようです。制御された不可視の
力が発動したと、考えてもよいかもしれません。

 郁 未『会いに行くんだ』
     『もっとも会いたい人に』

 この場所で少年と会うことによって、郁未は母親と彼の死を受け入れ、前に
進むことができました。
 そして、自分のなかにある希望の存在を知ったのです。

 郁 未「また…会えるかな…」
 少 年「季節というのはね、巡ってゆくんだ」
     「僕はいつまでもこここにいる」
     「でもキミは巡る季節の中に生きてゆくんだ」
     「ずっと先ゆく季節を生きてゆくんだよ」
     「こんなところで立ち止まってちゃいけないよ」
 郁 未「そう…」
     「そうだね…」
 少 年「ずっと、遠くまでいくんだよ」
     「この夏の終わりの季節が霞んで見えなくなる場所までね」

 MINMESは、自分の心にいる永遠の住人と対話することのできる世界を、作
り出してくれるのかもしれません。
 MINMESの映し出す世界が、動くことのない時―――永遠だから、ずっと先
へ進むことを、先ゆく季節を生きてゆくことを、永遠の住人となった少年は願う
のかもしれません。

 少年の言葉は、郁未の支えになることでしょう。

 郁 未『そうか…』
     『あいつと話せたんだ、私…』
     『きっとこの中で』
     『おかあさんに会いに来たはずなのに…』
     『それでもあいつを探していたんだ…』
     『自分の中に』
     『そして受け取ったものは、希望だった』
     『私はありがとうを言ったんだろうか…』
     『言っておこう』
     「ありがとう」

○最後の場所
  月 『…いつなんどきも、人間たちの悲しく、哀れな姿を見てきた
     …いわば悲劇の傍観者』
     『…私はそのものであるのだよ』

 敵は『月』の姿をしています。ここでの月は、いったい何を意味しているので
しょうか?狂気の一面でしょうか?

 もしかすると、郁未には月に見えるだけであって、その様子は他人には別な
ものに見えるのかもしれません。

○閉じた世界(奇妙な世界)
 郁未は母親殺しを認めかけて、奇妙な自分の世界へと閉じてゆきます。しか
し、もうひとりの郁未(ドッペル/影)が、その世界から引き戻します。

○食堂
 葉 子「違います。FARGO宗団自体が神なのです」
     「FARGOの規律は私とって絶対の言葉であり、
     FARGOの教えは全ての理なのです」

 これらの言葉には、違和感を感じます。しかし、、FARGO宗団自体が語られ
ないため、的外れな推測になりそうなので書くことができません。
 どんな教義なのか、個人的に興味はあるのですけどね。

 #葉子さんの過去の記憶から、宗団を絶対とする理由が明らかになります。

 葉子さんの過去の記憶です。
 葉 子『お母さんの居ないこの数年は私にとって
     虚構以外の何ものでもなかった』
     『お母さんの思い出にすがって…』
     『お母さんの幻に語りかけて…』
     『それで、ふと、お母さんの顔も声も明瞭に思い出せない自分に気づ
     いて自己嫌悪に陥っては、古ぼけたアルバムから平面上に印刷さ
     れた偽りの母の姿を眺めては溜飲を下げる』

 宗団施設にいる母親のもとへ向かう葉子さんの独白なのですが、関係を示
す物語が空白なために、結びつきの強さが出来る過程が分かりません。もし
かすると、最初からそういったものはなく、葉子さんの一方的な思慕によるも
のとの可能性もあります。
 そして、もうひとつ気づくことがあります。それは、郁未とほぼ同じ状況を生
きているということです。ふたりとも、外的には母親の存在を失いながら、内
的にはそれを失うまいと、必死にすがっているところです。

  『お母さんは一度も私の名前を呼んでくれなかった』
  『そして、私がお母さんのことを「お母さん」と
  呼ぶことも許さなかった』

 これは、郁未との出会いの場面で再現されています。これらの体験は、葉子
さんの行動の基準となっているようです。

 葉 子『だって、私のがんばりを見てくれる人がすぐそばに居るのだから』
     『お母さんとまた暮らすことができたのだから』
     『特製の手料理を食べることはできなかったけれど…』
     『お母さんと居るだけで毎日が充実していた』

 郁未の場合と状況が異なっているものの、ふたつを併せて物語の補完がな
されるという構造になっているようです。

 葉 子『お母さんが切望したもの』
     『娘を殺そうとしてまで欲したもの』
     『それが今、私の左手にある』
     『私にはお母さんの気持ちを理解することはできなかった』
     『だから、無感動にAの烙印を眺めていた』
     『私がFARGO宗団の教えを全て受け入れられたとき、
     きっとお母さんの気持ちが理解できる』
     『FARGO宗団を否定することは、お母さんを否定すること』
     『FARGO宗団の教えを拒むことは、お母さんを拒むこと』
     『だから、私はFARGOの信者として生きる』
     『左手に刻まれたお母さんと共に…』

 母親を正当防衛とはいえ、殺してしまうという大否定を行ってしまったため、
葉子さんはその間違いを正そうとして、盲目的なFARGO宗団の信者という役
割を自分に持たせました。
 母の死という大きなショックは、母親の切望したFARGO宗団(不可視の力)
を肯定することによって、心のバランスを保ったのです。
 非日常なこの場所で、葉子さんは母親の喪失を、FARGO宗団の信者となる
こと(受け入れること)によって、回避しています。つまり、外的にも内的にも喪
失を認めないまま、異常な心理を抱えて生活を続けいくのです。
 しかし、この場所が異常の世界だからこそ、成り立っていることを忘れては
いけません。

 郁未の記憶です。
 未夜子『青一色に彩られた晴天も良いけど、雲のかかった晴れの日も好き』
      『お母さんね、草原に落ちる雲の影が流れる様を眺めていることが好
      きなの』
      『郁未、あなたと一緒にね』

 郁 未(そっか…そうだったんだ)
     (今気がついた…)
     (私の目的は…)

 郁未の目的は、いったい何だったのでしょう?
 復讐?それとも、真実を知ること?
 ―――それはおそらく、母親を理解することだったのではないでしょうか?

 母親と同じ視界で、世界を見ること。
 母親と自分は別の人間だと、確認すること。

○終わりと始まりと
 郁 未「戻るの?外の世界、日常の世界に」
 葉 子「それも良いかもしれませんね」
 郁 未「消費税、5%になったから気をつけてね」
 葉 子「消費税って何ですか?」
 郁 未「そっか…葉子さん、そんなに長い間ここに居たんだ」
 葉 子「…はい」
     「知らない間にずいぶん変わってしまったんでしょうね…」
 郁 未「うん…変わったよ」
     「良くもなったし…悪くもなった」
 葉 子「そうですか…」
 郁 未「でも、ひとつだけ確かなことは、ここにいるよりは
     退屈しないってことかな」
 葉 子「私に取り戻せますか?」
     「失った時間を…」
 郁 未「葉子さん、まだ22でしょ?だったら全然大丈夫だよ」
 葉 子「23です…今日が誕生日ですから」
 郁 未「そっか…だったら…」
     「お誕生日おめでとう」

 ここが、区切り、ですね。そして、新たな始まり。

 郁 未(そう、やっと気づいた…)
     (私の旅の目的は復讐なんかじゃなかったんだ)

 葉 子「…そう言えば、まだちゃんと自己紹介していなかったですね」
     「私の名前は、鹿沼葉子です。よろしくお願いします」

 郁 未(晴れやかな笑みを湛えて、葉子さんの止まった時間は今動き出した)

 ここで動き出したのは、葉子さんの時間だけではありません。
 郁未の時間も、ようやく進み始めたのです。

○心の痛みと邂逅を果たす場所 MINMES
 郁 未『私は私なんだ』
     『お母さんに抱かれている私は過去の私』
     『今の私はここにいる』
     『いつまでも昔の無邪気な日々に生きていちゃだめなんだ』
     『私は私』
     『私はここにいるんだ』
     『いろんな日々に生きて、そしてここにいるんだ』

 この方向は、少年の言っていたことに重なります。

     「ずっと先ゆく季節を生きてゆくんだよ」
     「こんなところで立ち止まってちゃいけないよ」

 この2点ですね。

 未夜子「私が愛情に恵まれなかった分、この子には母親としての愛情を十分
      に与えてやりたい」
      「でもね、いつまでも甘えてばかりじゃだめ」
      「大きくなったら、ひとりで生きてゆけるような強さを持って欲しい」
 郁 未「……」
 郁 未『だって私は今日からそこへ向かって生きてゆくのだから』

 郁未の決意、郁未の意志。郁未が見つけた、自分の生き方。
 ほかの誰のでもない、『私の』生き方。
 少年の想いと、未夜子の想いと共に。

 郁 未「そして…」
     「それを最後まで、私は見届けてあげる」
     「この子の母親としてね」
 
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【総括】

 わたしは、MOON.を『対象喪失』した人たちの物語だと考えています。

 対象喪失とは、その言葉の通り『何か』を失ってしまったということです。
 その何かとは、肉親であったり、兄弟(姉妹)であったり、自身の肉体の一部
 であったり、広くとるならばリストラもそれにあたります。端的にいうと、わた
 したちの依存する存在(愛情・依存の対象)であるわけです。

 わたしたちが、対象を失った悲しみをどう受け止めるのか、そして認めてい
 くのか、解決していくのかは、それぞれによって異なります。時間も方法も
 同様 です。しかし、現代社会の構造は、悲しみを悲しむ時間を与えてはく
 れません。
 また、わたしたちが、悲しみという一種の苦痛から目を背けて生きていくこ
 とに、慣れてしまっていることも原因のひとつです。

 『悲しむ』ことの経験の少なさが、愛情・依存の対象を失ったとき、病的な
 までの不安にとらわれたり、混乱(困惑)したりするのです。ひどい場合には、
 絶望にうちひしがれ、自分自身まで失ってしまうことさえあるのです。

 MOON.においては、それぞれの物語がすべて明らかではないので、ひとつ
 ひとつを紐解くように考え、述べていくことは困難です。
 ―――いえ、述べる必要はないのかもしれません。
 なぜなら、わたしたちは、郁未の苦しみと悲しみを、見てきたのですから。
 『痛み』を、『悲しみ』なのだと、知ることが出来たのですから。

 あとは、自分の心と向き合うだけなのです。

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【余録】

 少々まとめてみたものです。
 多々、言葉足らずの部分もあります。

○郁未の場合
 父親の喪失により、未夜子(母親)は宗教へと傾倒してしまいます。悲しみを
 避ける行為は、郁未との生活に破綻を生じさせることになりました。
 郁未は、本来ならば得られる愛情を注がれることなく、成長していきます。
 
 ある時、依存対象である母親を喪失(死別)します。郁未は、母親の死の理
 由―――真実を知ること、復讐によって喪失の悲しみを回避しようとします。
 母親の死を受け入れることができず、その悲しみを悲しむことが出来ない、
 母親と(ほぼ)一体化していた自身を直視できないことから、そうした行動に
 なったと考えられます。

 宗団の生活で郁未は、母親にかわる対象として少年を獲得します。おそらく
 は、いままでの郁未の人生のなかで最も結びつきの強い存在としてです。だ
 から、少年を死別によって失ったとき、悲しみを回避することもできず、悲
 しむことを知らない郁未は、彼の死を見つめて、絶望の縁へと心を閉じたの
 です。

 宗団において、母親の対象喪失を追体験し、少年との死別によって悲しみを
 受け止めることを知り、さらに立ち止まらずに生きていくことの大切さに気が
 つきます。また、少年との間に宿すことのできた新たな命は、郁未の希望と
 なります。

 『私は私』
 『私はここにいるんだ』
 『いろんな日々に生きて、そしてここにいるんだ』

○由依の場合
 暴行を受けた衝撃から、由依の対外的な反応がまったく機能しなくなります。
 受けた恐怖だけではなく、自分自身を汚された(失った)ことが原因だと、考
 えられます。
 喪失感、汚された自分から目を背けるため―――、姉に依存します。おそら
 く、由依のなかでは、あたたかで汚れのない存在への一体化によって、悲し
 みを回避したかったのでしょう。
 事件は、家族の危うさを露呈させてしまいました。父親も母親も、どのように
 対処すればいいのか分からず、由依とどう接していいのか分からないので
 す。つまり、娘と共に失ったものへの悲しみを悲しむことが、分からなかった
 のです。友里ですら、家族の形が壊れるということにしか、気づけていなかっ
 たのです。

 由依が、友里の手首を切ったことを契機に、家族は崩壊を始めます。
 そして、それぞれは別の途へと進みます。
 父親、母親は、不明。
 友里は、紆余曲折の末に宗教へとたどり着きます。
 由依は、過去を忘れる―――嫌な体験を部分的に忘れることで、新しい人
 生を歩み始めます。

 『どこで狂っちゃったんだろうね…お姉ちゃん』
 死に直面したときでも、由依は結局、最後まで自分の失ったものに対して、
 向き合うことはありませんでした。
 どこで狂っちゃった―――ということは、すなわち事件そのものが、間違っ
 たことであり、決して認めることの出来ない事だとしている訳です。

  #事件を肯定しているわけではありません。犯罪ですからね。

 あの時から、やり直したい。そうした叫びが聞こえてくるようです。

○晴香の場合
 おそらく、再婚によってふたりは出会ったはずです。
 血のつながりのない兄妹は、成長することで、それぞれを一人の男性と一人
 の女性として、意識するようになったのでしょう。
 良祐にとって、その意識(近親相姦につながるもの)が、どれほどのものであ
 ったかは、想像もつきません。
 反面、晴香はそれを意識しながらも、ずっと側にいられる兄妹という関係を
 表面上は続けていこうとしていたようです。

 前述したことは、ひとつの要因でしかないのでしょうが、良祐は晴香の元か
 ら姿を消します。

 晴香は、兄を求めて宗団へとたどり着きます。
 そこでは、死別という結末が待っていました。兄を失った悲しみは、晴香を
 絶望へと追いやり、心を壊してしまいます。

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【あとがき】

 読み終えてくれた方、ありがとうございます。そして、お疲れさまでした。
 いかがでしたでしょうか?
 つたない文章なので、読みにくいところや歯切れの悪いところ、理解に苦し
 むところなども、あったかと思います。
 何かご意見・ご感想をいただければ幸いです。

 あと、これから『KANON』を始めます。もしかすると、また何か感想を書く
 かもしれませんので、そのときはよろしくお願いします。

 最後に。
 発表の場所を提供していただいた、ぷっぷくぷー様、応援してくれた方々に、
 心からお礼申し上げます。

 ―――ありがとうございました。

 2000/1/23
 2000/1/30(改訂)





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